202314日 復活節第主日

          ヨハネ福音書14章15~21節 「 愛はギリギリで逆転する 」 

14:15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」


 

幼稚園では、入園から一か月がたち、幼稚園に通うことにだんだん慣れてきましたが、先週の月曜日は、連休明けだったので、泣いてくる子が多かった。「お母さんに会いたい」と言って泣きます。毎年聞く言葉ではありますが、この前ふと、なんであんなにお母さんのことが好きなんだろう、と思いました。身の回りの世話ならば、保育者だってしてくれるのに。それは言葉で説明できることではないのでしょう。あえて言葉にすれば、自分を愛してくれるから。子どもたちは意識として、そう思っているわけではないでしょうが、そう体感しているのでしょう。

今日の福音書の箇所は、先週の続きの部分ですが、最後の晩餐、十字架にかかる前夜の場面です。弟子たちは、いよいよイエスさまが、本当に十字架にかかるということを理解し始めた場面です。

弟子たちにとって、全てを捨ててついてきた自分の師が、十字架に架けられてこの世からいなくなる、それは大きな喪失です。その中で、イエスさまは18節でこう語っています。

18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。

また16節では、

16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

ここで弁護者と言われているのは、聖霊を指していると思いますが、違う訳を見てみると、口語訳では「助け主」と訳されていますし、別の訳では「慰める者」と訳されているものもあります。字義そのものの意味は、「傍らにいるもの」です。別の弁護者と書かれていますから、イエス様ご自身も、私たちの弁護者であり、助け主であり、慰める者であった。私は去っていくが、また戻ってくるし、父なる神に願って、別の弁護者、助け主、慰めるものを遣わしてもらって、永遠に一緒にいるようにしてくれると言います。

イエスさまが尋ねているのは、あなたは、この弁護者であり、助け主であり、慰めるものである私を愛しているか。私の掟を愛しているか。ここで言われる掟というのは、私があなたを愛したように、互いに愛し合うことです。互いに赦し合い、仕え合い、弁護し合い、慰め合い、傍らにいてあげること。この教えをあなたは愛せますか、この教えを語る、この私を愛せますかと、尋ねられています。

しばしば吐き違いていたり、愛せなくなってしまうことはありますが、それでも神さまに赦されながら、慰められながら、助けられながら、悔い改めて、互いに愛し合おうとし続けること、それがイエスさまを愛することであり、イエスさまの愛に留まることであると聖書は教えています。

聖書は、愛は無敵で全てを良くしていくと教えているわけではありません。アダムとエバ、カインとアベル、からイエスさまの十字架まで、愛なる神さまはいつも裏切られ続けました。私たちが愛を注いでも、何も良くならなかったり、裏切られたり、憎まれたりすることもあります。聖書が教えているのは、愛は最後にギリギリで逆転する、聖書はそう教えている気がします。

イエスさまは、裏切られ、十字架に架けられますが、復活して現れたときには、イエスさまに従い続ける群れが現れてきます。

今、この世界には、たくさんの憎しみがありますし、失望もある。私たちだけが、互いに愛し合おうとしても、この世界が愛に満ちた世界になるわけでもないでしょう。でも、ほんの少しだけ、憎しみが減り、愛が増える。私たちは結果が出そうだから、互いに愛し合

おうとするわけではありません。私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい、そう教えたイエスさまを愛しており、その教え自体を愛しているからです。

神さまの愛の力、イエスさまの愛の力を、世の人は見ようとも、知ろうともしないから、受け入れることができない。しかし、あなたがたは知っている、とイエスさまは言います。

この世界は愛で満ちているわけではありませんが、愛なる神に造られ導かれているこの世界は、ほんの少しだけ愛が上回っています。だからもう少し心を開いてもいいし、信じてみてもいい世界です。

ゆるされながら、慰められながら、助けられながら、弁護してもらいながら、互いに愛し合おうとしていきましょう。