202321日 主の昇天

          ルカ福音書24章44~53節 「 祝福 」 

24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。 24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。


 私がこの教会に赴任したころは、大麻ひかり幼稚園の園長職を続けていました。ですから、週日のほとんどは大麻の幼稚園で過ごしていました。ただ月曜日は、札幌ルーテル幼稚園の礼拝があるので、札幌の幼稚園に朝来て、先生方とお祈りし、その後礼拝までの時間、子どもたちと遊んでいました。その中に、ちょっと障がいのある、Rちゃんという男の子がいて、なぜか一目会ったその日から、随分私のことを慕ってくれて、抱っこしてもらおうと駆け寄ってくれる子がいました。毎週必ず駆け寄ってくれました。他のことでうまくいかないことがあっても、月曜日に幼稚園に行くと、その子が変わらずに駆け寄ってきてくれました。

 今日は主の昇天、昇天主日です。今日の第一日課は使徒言行録の1章ですが、書き出しに「ティオフィロ様、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてからお選びになった使徒たちに、聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」と始まっています。この第一巻とは何かというと、同じティオフィロへの挨拶から始まっているルカによる福音書であろうと言われています。ルカはおそらく、第2巻の使徒言行録で、後で詳しく書こうと思ったのか、ルカ福音書の最後の部分は簡潔にまとめられています。ルカの最後は、率直に読むと、使徒たちに復活のイエスさまが現れて、その日のうちに昇天したように、読めるくらい簡潔に書かれています。でも、ダイジェストって、示唆深いところがあって、作者にとって大事なことがどれなのかがあらわれてきます。

 ルカにとって復活したイエスさまが弟子たちにしたことの勘所は、今まで起こったことも、これから起こることも聖書の言葉が実現していくということ。これから罪の赦しを得させる悔い改めが、ユダヤの国を越えて、あらゆる国の人々に宣べ伝えられていくということ。あなたがたは神の力に覆われるまで、待たなければならないということ。そして、復活のイエスさまが最後にしたことは、天に昇っていきながら、この弟子たちを祝福したということです。弟子たちにとって、イエスさまの最後の姿は祝福する姿でした。私たちも毎週礼拝の終わりに、神さまからの祝福を受けます。先週は幼稚園で、5月生まれのお誕生会がありました。そのお誕生会でも、お誕生月の子ども一人ひとりに祝福をします。

 先週一週間、祝福ってそもそも何なんだろう、と考えました。実は、弟子たちが大喜びでエルサレムに帰り、神をほめたたえていたと、書かれていますが、この「ほめたたえる」と訳されている言葉と祝福は同じ単語です。字義どおりに訳すと「良い言葉」という意味です。人間が神さまを祝福するというのはおかしいので、人間から神さまにかける良い言葉は、ほめたたえる、賛美する、と訳されます。神さまの方から、人間にかける良い言葉は、祝福と訳されます。祝福とは、神さまから人間にかける良い言葉です。言葉としては変ですが、イエスさまが弟子たちをほめたたえているんです。十字架では逃げ、復活をなかなか信じなかった、この弟子たちを。別に優秀だったから、祝福しているわけではありません。この不出来な弟子を愛したんです。イエスさまは、天に昇って世を去る時、出来がいいとは言えないけど、この弟子たちに会えたことを喜んだんです。

 祝福されるって、歓迎されることであったり、その出来事が起こったことが喜ばれる事であったり、幸福を祈る事であったりします。祝福とは、あなたという存在が喜ばれていることです。あなたが存在してくれてよかったと、良い言葉をかけられることです。

 イエスさまと弟子たちは最後に、互いに、良い言葉を投げかけあった。もう見える形ではお別れだが、あなたに会えてよかった。あなたがいてくれてよかった。そう語り合っています。

 私はRちゃんに出会えて、私の方がいつも祝福を受けていたのだと思います。言葉にはならないけど、あなたに会えてよかった、あなたがいてくれてよかった、そんな風に言われているようでした。こんな自分を喜んでくれるなんて、こちらこそ、あなたに会えてよかった、そういう思いです。

 神さまは、毎週私たちを祝福されます。あなたに会えてよかった。あなたという存在がいてくれてよかったと。

 キリスト者が、高いところからの力をいただいて、なすべきことの一つは、私たちがお互いに良い言葉を掛け合うことです。存在を祝福すること。あなたに会えてよかった。あなたがいてくれてよかった、いつも言葉にする必要はありませんが、そう喜び合うことです。私たちは罪人ですから、自然に良い言葉を投げかけ合うものではありません。でも、神さまの赦しと愛を受けて、今ここで悔い改めましょう。そして神さまの祝福を受けて、隣人に良い言葉を語っていきましょう。祝福を送り合いましょう