202325日 聖霊降臨後第4主日

          マタイ福音書10章24~39節 「 人を恐れるな 」 

24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。36 こうして、自分の家族の者が敵となる。37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

  説教の準備で、日本人の神学者が書いた註解書も読みますが、アメリカやヨーロッパの人が書いて訳されているものも読みます。その中で、今日の箇所の後半、イエスさまは、平和をもたらすためではなく、剣をもたらす、とりわけ家族の中に敵対をもたらすために来た、という箇所の註解で、こんなことが書いてありました。なぜ、信仰を持つことが、家族に敵対をもたらすことになるか、ピンとこないかもしれないが、今でも、アジアやアフリカで信仰を持つことは、家族の中に葛藤を呼び起こすことになる、そう書かれていました。幸いにして、両親ともにクリスチャンファミリーで、家族との何の葛藤もなく信仰持ったという人もいるかもしれませんが、日本ではまれなケースです。皆さんの中にも、信仰を持つにあたり、家族親類との、多少の葛藤があったという方もいるかもしれません。ただ、わたし達が多少恵まれているのは、キリスト教信仰は、既に2000年の歴史があり、日本では少数ですが、世界的に見ればメジャーな信仰です。ミッションスクールなどもあり、クリスチャンじゃない人にも、比較的信頼されている信仰です。キリスト教ならばと、容認された方もいると思います。
 ただ、やはり、キリスト者は、日本の中ではマイノリティーです。親類づきあい、近所づきあい、友達付き合いをする中でも、葛藤を覚える場面もあります。価値観の違い、考え方の違いを感じることもあります。神さまの御旨と、付き合いのある人への忖度、そういうものの中で揺れ動くことがあります。イエスさまは言います。「人々を恐れてはならない」と。
 私たちは人を恐れます。自分ではよくないな、やりたくないな、と思いながらも、その場の空気を読んでそれにのってしてしまうことがある。自分ではしたい、やるべきだと思うことでも、その場の空気を読んで引っ込めてしまうことがあります。そのことが後々気になって、後悔を引きずることもあります。後々、やったことが表沙汰にになって、恥じ入ることもあります。イエスさまは言う、どんなことでもやがて明らかになると。イエスさまは言います。体を殺すことはできても、魂を殺すことのできないものを恐れるなと。むしろ、身体も、魂も滅ぼすことができる方を恐れなさいと。これは、人間よりも、魂を滅ぼすことができる神さまの方がもっと怖いんだから神さまに従えと、より怖い恐怖政治のようなことを言っているわけではありません。イエスさまは続けてこんな話をします。二羽の雀が1アサリオンで売られている。1アサリオンとは、1円だと思ってください。二羽で1円です。その中の一羽さえ、父なる神のお赦しがなければ地に落ちることはない、と言います。だから恐れるな、あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかに勝っている、そう言っています。
 神さまは、魂も滅ぼすことができるから、もっと恐れろ、ということではありません。その神さまが、たくさんの雀よりも、あなたがたの方がはるかに価値がある、滅ぼしてはいけない存在であると思っている。その神さまによってあなたの魂は既に守られている。だから、人の言ったこと、人の目、そんなものを恐れる必要はない、そう語っているんです。
 ただ、実際に人を恐れない、ということは難しいことです。この教えをイエスさまから直接受けた弟子たちは、十字架の出来事の中で、どうしたか。人を恐れて逃げました。人を恐れてペトロは、イエスさまの仲間ではない、とも言いました。そう言った後、ペトロは号泣したとも書かれています。自分を守ろうとして、かえって失う、そういう経験をします。しかし、復活のイエスさまは、ペトロに再び現れ、教会のリーダーにしていきます。
 私たちは、後悔しながら赦され、再び立ち上がる力を与えられていきます。たくさん後悔しながら、本当は神さまの御旨に従うことが、本当の意味で自分を守ること、自分の魂を守ることになるのだと、少しずつ気づいて行けるのです。たくさんの雀よりも、あなたがたの方がはるかに勝っています。そう語られたことを信じて、何度でも立ち上がりましょう。あなたの魂は神さまに守られています。人を恐れる必要はありません。


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