202372日 聖霊降臨後第5主日

          マタイ福音書10章40~42節 「 本命の問題 」 

40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

 

 学生の頃、試験期間になると、早く試験勉強始めればいいのに、普段やらない部屋の整頓を始めたり、普段読まない本を読みだしたりしていました。今でも、本当は早く取り掛かったほうがいい、大変な仕事があるのに、違う仕事からすることもあります。本命の問題に向き合いたくないので、末端の問題に目を向ける。
 不安神経症の人は、鍵をかけたか、電気を消したか、色んなことが気になる。でもその心配事を取り除いてあげると決して喜ばない。実は本命の不安を避けるために、小さな不安を作っている。訴える不安と取り除いても、新しい不安をつくり出すそうです。実は、人間のやっている営みは、ほとんどそういうものだという人がいます。本命の問題に向き合わないように、忙しくしたり、お金持ちになろうとしたり、偉くなろうとしたり、SNSで「いいね」もらおうとしたり。
 では、人間の本命の問題とは何でしょう。それを認め、納得できるかは別にして、聖書によるならば、それは命の問題、死の問題です。それと愛の問題、赦しの問題です。聖書の証しする救い主が与えようとした救いは、赦しを含めた変わらぬ愛と、死を越えた命だからです。これは、人間が作り出すこと、引き出すことのできないものです。聖書が教えていることは、この救い主が、あらゆる罪を赦す方であり、罪人に命を与えようとしている方であり、恵みと慈しみに富んでいる方だということです。この方の言葉と、行為と、その生涯を示して、この方を信じるようにと促しています。
 今日の聖書の箇所は、イエスさまが12人の弟子を使徒として選び、人々のところに派遣する場面の最後の部分です。その道は、決して簡単ではなく、迫害も受ける。でも、魂を守る神さまは揺るがないから、人を恐れるな、そう語ります。伝道は、人がずっと目を向けないようにしている、本命の問題に触れることです。人の中のデリケートな部分に触れることです。時には、家族の中にすら、亀裂をもたらすものでもあります。だから、とても難しいものです。
 それに現代は、本命の問題に向き合うことをごまかせるものがたくさんあります。だから、生涯ごまかし続ければ、それでよい気もします。でも、人は生きていれば、ごまかしのきかない場面があります。それがごまかしであることに気付いてしまうこともあります。一時的には楽しいが、とても空しいと感じることがあります。伝えよう、届けようとしていれば、人に福音が届くことがあります。
 私が神学生の時、宣教研修に出る前に、神学生やほかの学科の学生や先生方が、寄せ書きを書いてくれました。その中で、まさに宣教研修担当、教会実習の担当の先生は、寄せ書きに、「絶望と徒労に慣れてください」そう書かれていたことを今でも覚えています。私たちも、礼拝後に派遣されています。でも、徒労の多い日々です。何もできていないと思うこともあります。でも、イエスさまは今日の箇所でこう言います。

40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

 伝道が目に見える形で実りにならなかったかもしれない。でも、聞いてもらえただけでも、一時的に喜んでくれただけでもいい。一杯の水を差し出してくれただけでも、それで十分。それを見て神さまはとても喜んでくださる、そう語られています。福音宣教は、とてもデリケートなものですから、この時代の中でむやみやたらにできるものではありません。しかし、全てを諦めるのではなく、神さまの与えてくれる時のために、準備だけはしておきましょう。小さなものとして、派遣されていきましょう。


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