2023年8月20日 聖霊降臨後第12主日 |
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マタイ福音書15章21~28節 「 畏れながらも 求め続ける 」 | |
15:21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 15:22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。 15:23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 15:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。 15:25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 15:26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 15:27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 15:28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。 |
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今日の福音書の箇所は、異邦人の女性、カナン人の女性が出てきます。この女性は、最終的にイエスさまから、あなたの信仰は立派だ、と言われる人です。しかも、あなたの願い通りになるように、そう言われた人です。ある牧師は、戸惑いを覚えると言います。信仰というのは、神さまをうまく利用して、自分の思い通りにしようとすることではない、と教わったと言います。自分の思いも率直に祈りながらも、自分の思いをはるかに超えた神の御旨に気付かされていくことだ、そう教わったと言います。この女性は、自分の願いをかなえてもらっています。この女性が求めたものは何か、特別に信仰深い事なのかというと、そうではなく、娘の病気が癒されることです。恐らく、信仰を持っていない人でも、自分の子どもが重い病気になれば、祈りに似たことはすると思います。どういう意味で、この女性は、信仰が立派なのでしょう。
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