2023日 聖霊降臨後第10主日

          マタイ福音書14章13~21節 「 用いられる幸い 」 

14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 今日の福音書の箇所は、五千人の給食と呼ばれる箇所です。この出来事は、四つの福音書全てに載っている珍しい話です。十字架と復活の話以外で言えば唯一であると言われています。加えて、四千人の給食という話も出てきますから、よっぽど使徒たちが喜んで語って箇所なのだと思います。
 冒頭に「イエスさまはこれを聞くと」と書かれていますが、この直前に洗礼者ヨハネがヘロデアンティパスに殺された、という話が出ています。これを聞いて、船に乗り、人里離れたところへ向かいます。自分自身の十字架が視野に入ってきたのかもしれません。他の福音書によれば、弟子たちと少し休むためだったとも書かれています。しかし、群衆、それも五千人以上の群衆が、イエスさまの後を追ったと言います。イエスさま船で湖を渡りますが、群衆は歩いて外周を回っていき、イエスさまより先についていたようです。イエスさまは、ここまで追いかけてくる群衆の姿を見て憐れに思ったと言います。イエスさまは病人を癒されます。夕食の時間になるまで続けています。気づいた弟子の一人が、群衆を解散させようと言います。この人里離れたところでは、五千人以上の人の食料は調達できないからです。しかし、イエスさまは、弟子たちに、あなたがたが食べ物を与えなさい、と言います。しかし、持ち合わせている食料は、パン五つと魚二匹です。とても、五千人以上の人に上げるには足りません。イエスさまは、そのパンと魚を持ってくるように言うと、天を仰いで賛美の祈りを唱えたと言います。そして、パンを裂いて、弟子たちに配らせます。この奇跡の特徴の一つは、弟子たちに手伝わしているところです。パンは無くなることなく、全ての人が満腹し、パンくずを集めると、弟子たちの数と同じ、12の籠一杯になったと言います。
 弟子たちは、この出来事を喜んで、繰り返し語ったのだと思います。それは、恐らく、イエスさまが昇天し、弟子たちが教会を始めたときに、何度も似たような思いになったからだと思います。神さまと群衆に対し、求められているものは大きいが、自分の持ち合わせている力はあまりに乏しい。でも、この五千人の給食の出来事を思い出し、イエスさまを信じて自分の持ち合わせている僅かなものを託し、イエスさまに用いられるよう祈る時、自分の力以上のものが現れ、多くの人が満足してくれた、そんな場面が何度もあったのだと思います。
 私たちは、心の中で願っていることがあります。出来れば、人の役に立ちたい、という思いです。人に喜ばれる存在になりたい。誰かに、心から、ありがとう、と言われれば、こんなに嬉しいことはない、そんな思いを人は宿しています。
 現在は消費社会です。自分の欲しいものを手に入れ、自分のしたいことをしたいだけする、それができれば幸せになれる気がします。でも、本当にそうだろうかと思います。聖書は教えます。受けるよりも与えるほうが幸いであると。
 絵本に「きつねのおきゃくさま」という話があります。狐がヒヨコを見つて食べようとしますが、やせているので家に泊めてあげて太らせることにします。とても喜ばれ、親切なお兄さんと慕われるようになります。ひよこは出会ったアヒルにも親切な狐がいると言って、キツネの家に連れてきます。狐は喜んで、ひよこも、アヒルも太らせます。更にウサギも加わって、三人があの狐は神さまのようだと語り合っているのを聞きます。翌日、ひよことアヒルとウサギがさんぽしていると、オオカミに見つかって狙われます。それに気づいた狐は、オオカミと戦い、オオカミを追い払いますが、キツネは死んでしまう。ひよことアヒルとウサギは、その狐を墓に入れ、親切で優しくて神さまのようで勇気のあるきつねのお兄さん、と墓に刻むところで終わる話です。ちょっとだけ、聖書っぽい。最初は不純な動機で親切にするのですが、感謝されるうちにきつねの思いが変えられていく話です。誰かの役に立つ、信頼され、感謝される、それは大きな喜びです。
 別に感謝されなくても構いません。誰かの役に立てると嬉しいものです。ただ、与えたいという思いはあっても、自分の持っているものは、とても乏しい、という問題があります。しかし、私たちはイエスさまを知っています。神さまを知っています。自分のできる乏しい奉仕を、神さまは思いがけず、祝福して、思い以上の豊かな働きに変えてくれることがあります。神さまが私たちの小さな働きを、用いてくださることを祈りましょう。願わくば、人の役に立ちたい。願わくば、生涯、神さまのお役に立ちたいと思います
 私たちは一人で、奉仕するわけではありません。イエスさまが共に居てくださいます。共にいるイエスさまを信じて、神に仕え、人に仕える一週間を始めていきたいともいます。

               


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