202310日 聖霊降臨後第15主日

          マタイ福音書18章15~20節 「 開かれている扉 」 

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 先日、幼稚園の健康診断がって、その結果が返ってきました。視力とか血圧とか、血液検査とかの結果があって、別紙で大腸がんの検査というのがありました。そしたら初めて、ポリープのある可能性があるから、精密検査を受けるように、という指示が書いてありました。結構ショックでした。10月に検査をするのですが、まだポリープがあるとは限らないし、あってもそれが悪性のものかどうかもまだ全然分からない段階ですが、それなりのショックを受けました。何人の方も看取ってきましたし、葬儀も上げてきた。大きな病気の手術をする兄弟姉妹のために、我がことのように思って祈ってきたつもりでした。私の年の近い友人も、重い病を持ち、祈っても来ました。自分はそのような人の気持ちを十分に、分かっているつもりでしたが、本当に自分自身に死の可能性が見えてくると、独特の思いが与えられるものだと感じました。友人や兄弟姉妹の気持ちに寄り添ってきたつもりでしたが、本人が受けているショックや不安を、本当には分かっていなかったのだと改めて思いました。すでに、このような経験をされている人もいると思いますし、されていない方もいると思います。自分自身に死の可能性が見えてくる、それは気持ちのいい体験ではありませんが、神さまに対して、聖書の言葉に対して、その存在感の重みが増してきます。
 今日の聖書の箇所で、

 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。

 教会は天上につなぐ鍵が託されている場所です。ペトロの信仰告白の箇所でも書かれていますし、復活したイエスさまも改めて、使徒たちに語っています。この箇所で語られているのは、兄弟姉妹が自分に罪を犯したなら、簡単に見捨ててはならないということです。まずは二人だけの場所で、悔い改めるように促しなさい、と言います。それでも聞かなければ、もう一人連れてきなさい、と言います。多勢に無勢で説得するためではないでしょう。第三者に入ってもらって、その忠告が正しいものかを確認してもらうためでしょう。それでもだめなら、教会に訴えなさい、と言います。神の前に立って、正しさを吟味する為でしょう。それでもだめなら、異邦人か徴税人とみなしなさい、と書かれています。
 役員就任式の時に、役員の役割として、語られるものの一つに、

過ちを犯したものを訓戒し、改悛しないものを教会の戒規に付す

 というものがあります。戒規とは、簡単に言えば、破門のことです。その根拠は、今日の聖書の箇所にあります。
 今日の箇所の前は、100匹の羊のうちの、逃げた一匹の羊を羊飼いが探す話です。今日の直後の箇所は、ペトロが兄弟を何回まで許すべきか、7回までかと聞いたところ、770倍も許しなさい、と語られた箇所です。今日の箇所も、主張の中心は、兄弟を失わないためになすべきことが書かれているのでしょう。しかし、同時に、赦されない可能性もあり、戒規、破門される可能性もある、という教えでもあります。教会は、赦さない、ということに関して、重い責任を持っています。それは地上だけの問題ではなく、天上からも解かれることになる。また、私たちは兄弟姉妹に対して、罪を犯す側にもなりえます。だからこそ、悔い改めに対しても、もっと真剣でなければいけない。戒規され、天上から解かれる可能性だってあるのです。
 普通の人間同士の関係で言えば、悔い改めたって、赦してくれるとは限りません。いくらこちらが悔い改めても、相手はやはり許せない、そんな思いを抱き続けることもあります。しかし、あなたがたは、何とかその人を悔い改めに導き、兄弟を回復しなさい、と教えています。それだけでも、罪人に対する恵みです。私たちは、恵みと赦しを聞くので、悔い改めがおろそかになるかもしれません。しかし、悔い改めの機会が与えられていること自体が大きな恵みです。赦しを得るチャンスが与えられていること自体が恵みです。
 死をより身近に感じ始めると、自分の無力さと、神さまへの畏れを改めて感じます。それに加えて、開かれている希望の道が、どれだけ恵み深いものかを強く感じます。神さまへの畏れと感謝を持って、新しい一週間を歩みましょう。


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