202312日 待降節第1主日

          マルコ福音書13章27~37節 「 最後まで残るもの 」 


13:24 それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、

 25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

 26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

  28「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
 32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

 宝塚の問題や、楽天イーグルスの野球選手の問題とか、ジャニーズ事務所も含めてそうですけど、時代の変わり目に来ているのだな、と感じている人もいると思います。先輩や上司から理不尽な目にあって、でも、それに耐えるのも修行のうち、みたいな話はもう通じない時代です。時代によって不問にさせられていた問題が、問い直されています。」
 山本七平という人は、場所は忘れましたが、アジアの戦地で、太平洋戦争の終戦、敗戦の知らせを一兵士として受けたそうです。時代の変わり目に立ち会った人です。終戦の知らせを受けても、すぐに本土に帰れるわけではありません。今まで威張っていた上官は、一応上官のままですが、一気に権威を失います。上官は職業軍人で、本土に帰れば、職を失う。もしかしたら、戦犯の一人に数えられるかもしれない。一兵士たちは、大概家業があり、本土に帰れば仕事がある人が多かった。立場が逆転します。その直後から、これまでの上官の振る舞いに、今までどれだけ腹を立てていたか、あからさまに態度に現れたそうです。でも、中には、終戦の知らせを聞いても、尊敬を受け続け、信頼され続けた部隊の上官もいたそうです。
 どんなに時代が移っても、変わらないもの、残り続けるものがあります。聖書の言葉を使うなら、天地が滅びての決して滅びないものがあります。それは、神の教え、神のコトバです。神のコトバと書かれているこの単語は、ロゴスの複数形、ロゴイという言葉です。ロゴスというのは、単に書かれた単語、文書という意味ではなく、ロゴスという言葉は、ロジックという言葉の語源でもあるのですが、理、とか原理とか、道と訳す人もいます。原理原則というか、魂、といってもいいかもしれません。
 最近、原始教会、最初の教会について、色々調べているのですが、この時代は時代の変わり目、というより、信仰的に言えば、激動の時代です。宗教改革の時代をはるかにしのぐ激動の時代です。それまで、異邦人に触れてはいけない、といわれていたのに、世界の果てまで行けと言われ、異邦人伝道を始めていく。普遍宗教になっていく必然かもしれませんが、アブラハム以来、割礼を施せと言われていたのが、割礼はいらない、といわれる。レビ記の中で、食べてはいけないといわれていたものが、神の造られたもので清くないものはない、といわれ、何でも食べていいことになる。食べ物のこと以外でも、安息日の過ごし方など旧約聖書で禁じられていたものが、次々と解放されていきます。それはついていけない人がおり、袂が分かたれ、対立が起こる、それは振り返ってみると当然だと思わされました。そして、キリスト教の教えは、世界に広がっていきます。なぜ、字句通りの律法から解放されることができたのか。律法の中心、揺るがない原理原則が確認されたからです。この原則に従っていれば、神のみ心にかなうし、逆に表面上律法を守っていても、この原理原則から外れていれば、それは罪と定められます。その原理原則は、「心を尽くして神を愛すること、そして自分を愛するように隣人を愛すること」それが原理原則であり、神のロゴスであり、魂です。
 終戦を境にしても、変わらずに尊敬された上官は、厳しいことは言っても、部下を大切にする上官だったといいます。部下に対する愛情があった上官です。どんなに時代が変わっても、人を大切にする人は、変わらぬ信頼や、変わらぬ助けが与えられるものです。時代の変わり目には、いろんな化けの皮がはがれます。でも、時代の変わり目には、変わらぬ大切なもの、最後まで残っていくもの、イエスさまの教えの真価があらわになります。一つの時代の終わりを感じたら、人の子が戸口まで来ていることを思い出しなさい、と聖書は教えます。どんなに時代が動いても、本当に大切なものは揺るぎません。神の前に正しく生きようとし、人を愛そうとした人は、時代の変わり目でも、時代が変わっても、揺るぐことなく守られていきます。
 イエスさまの、もう一つの大事な教えがあります。イエスさまの教えの第一声です。それは「悔い改め」です。私たちは時代に乗って罪を犯すものでもあります。いやどんな時代でも、神の前に正しく、人を大切にしようと思っていたとしても、時には時代にのまれ、時には自らの弱さのゆえに、罪を犯すのが私たちです。聖書はユダヤ人の姿、弟子たちの姿を通してそのことを示してきます。私たちは罪を犯すものです。しかし、その時に大切なことは、できるだけ早く、素直に罪を認めて悔い改めることです。イエスさまは赦してくださいます。イエスさまにうまくごまかせるなどとは思わないことです。
 どんな時代になっても、どんなに時代が変わっていっても、心を尽くして神さまを愛そうとし続けること、隣人を大切にしようとし続けること、自分の罪に気付かされたら、素直に認め、悔い改めること、どんなさなかでもイエスさまはいつもそばにいてくださいます。時代を越えて、大切にすべきものを、常に大切にしていきたいと思います。


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