20231210日 待降節第2主日

          マルコ福音書1章1~8節 「 偽善 」 


神の子イエス・キリストの福音の初め。

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」

そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 人間失格という小説があります。初めて読んだとき思ったのは、自分のために書かれた小説ではないか。という思いでした。二十歳くらいの、自意識過剰な頃の話です。しかし、私の自意識ばかりではなく、今までも何人か私と同じように思った人と会いました。ほかの人が私と同じところで共感したわけではないと思うのですが、私がこの小説で自分と似ていると感じたところは、この主人公が世間になじめず、道化のようにしていた。しかし、そのごまかしがうまくいけばいくほど、無意識のうちに、自分のことが嫌いになっていった、というところです。偽善がうまくいけばいくほど、かえって自分はダメだと強く感じられていく、心当たりはないでしょうか。
 今日の福音書の箇所は、洗礼者ヨハネが登場するところです。主であるイエスさまと私たちが出会うまで、その準備をしてくれる存在です。洗礼者ヨハネがしていたことは、罪の告白を受け、ヨルダン川で洗礼を授けることでした。
 イエスさまと出会う、それは単にうれしいことだけではなく、恐ろしいことではないでしょうか。神の子と出会う、神と顔を合わせる、それはとても恐ろしいことでもあります。人はごまかすことができても、神さまをごまかすことはできません。偽善を重ねれば重ねるほど、人には良い人だと思われていくかもしれませんが、神さまの前では、罪を重ねているように感じられる、神さまの前とはそういう場所です。他の福音書では、ファリサイ派やサドカイ派の人たちもヨハネのもとに来たと書かれています。信仰的な指導者でした。特にファリサイ派の人たちは、自分は律法を守って生きてきたと、自負をしていた人たちです。しかし、同時に独自のルールを加えてうまく律法を運用してきた人たちでもあります。神さまの裁きは、単純に聖書に書かれていることをきちんと守ってきたかどうかが問われるわけではないでしょう。神のみ旨にかなった生きたをしてきたかどうかです。神さまのみ旨とは何か、単純に聖書の通りでないとすれば、どうやって分かるのでしょうか。もしかしたら、本当に見当違いだった、ということもあるでしょう。しかし、本当に問われるのは、内心で良くないと感じながら、時には人にはうまくごかましながら、しかし、神さまの前では、正しくないと感じながら犯した罪です。人はどこかで、分かっている。時には人をごまかすだけではなく、自分をごまかしながら、自分に言い訳しながら犯した罪があります。そのような罪を犯した人は、神さまの前に出るのが恐ろしいものです。
 洗礼者ヨハネが、悔い改めの洗礼を宣べ伝えると、ユダヤの全地方から、多くの人が集まってきたといいます。洗礼者ヨハネには、本当に神さまが、救い主を使わす前の準備の役割として遣わされた人だという、不思議な迫力があったのでしょう。
 しかし、ヨハネは、人がごまかしていた罪を暴くために現れた存在ではありません。今日の箇所の冒頭でもあり、この福音書の冒頭でもある、最初の言葉は、

 神の子イエス・キリストの福音のはじめ

 です。私たちがこの福音書の箇所を読むときにも覚えておかなければいけないことは、これは「良い知らせである」ということです。
 医者に怪我を治してもらうときには、そのけがを見せなければなりません。医者に病気を治してもらうためには、その病気を明らかにしなければなりません。それと同じように、あなたの罪が赦され、贖われるためには、あなたの罪が明らかにならなければなりません。
 待降節、イエスさまを迎えるために大切な準備は、自分の罪を認めて、イエスさまに差し出すことです。人をごまかし、時には自分すらごまかしていた。イエスさまに会うのにはばかられるような、あなたと神さましか知らない、あなたの罪を認めることです。
 恐れる必要はありません。あなたにこれから出会おうとされる方は、あなたの救い主です。あなたを救おうとされる方です。
 偽善が成功することで、自分のことが少し嫌いになる自分がいます。そんなあなたにこそ、救い主が与えられました。神さまの前で罪を告白し、悔い改めて、この救い主のもとへ駆けつけましょう。良い知らせ、救い主であることを信じましょう。


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