2024年3月3日 四旬節第3主日 |
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ヨハネ福音書2章13~23節 「 聖霊を宿す神殿 」 | |
2:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。 14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。 15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 |
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学生の頃、友達なんて自然にできるものだと思っていましたが、大人になると友達って、なかなかできないものだと感じます。私の個人的な問題もあるかもしれませんが。ただ、大人になると素の自分だけではなく、それぞれの立場ができたりします。利害関係も出てきます。どこかで適切な距離感、緊張感を持っていなければならない関係があります。大人になると、孤独を感じる機会が増えるのかもしれません。逆に立場や、利害関係がなくなった時に、かえって距離が縮まり、友人のような関係になることもあります。 私が父の内におり、父が私の内にいる
ヘーゲルという人が、結婚とは、お互いに主導権争いをしていた私と私が、私たちになること、つまり一体になることだといいます。もちろん、これは理想であって、実際の結婚はそうはならなかったりします。ただパートナーに困難が襲えば、あの人の問題ではなく、自分たちの問題として考えるようにはなります。
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