2024日 四旬節第3主日

          ヨハネ福音書2章13~23節 「 聖霊を宿す神殿 」 

2:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。 14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。 15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

 学生の頃、友達なんて自然にできるものだと思っていましたが、大人になると友達って、なかなかできないものだと感じます。私の個人的な問題もあるかもしれませんが。ただ、大人になると素の自分だけではなく、それぞれの立場ができたりします。利害関係も出てきます。どこかで適切な距離感、緊張感を持っていなければならない関係があります。大人になると、孤独を感じる機会が増えるのかもしれません。逆に立場や、利害関係がなくなった時に、かえって距離が縮まり、友人のような関係になることもあります。
 今日の福音書の箇所は、宮清めと呼ばれる個所で、イエスさまが乱暴な姿を見せる唯一の箇所です。弟子たちにとっても、とても印象に残る出来事だったと思います。私たちにとっても、かなり印象に残る聖書の場面です。
 神殿の境内で動物を売っている人や、両替をしている人は、人の集まる祭りに単に便乗して商売をしていた人ではありません。遠くの国から来る人のために、祭りの中でささげる動物を売っていた人であり、カイサルが刻まれたローマのお金ではなく、ユダヤのお金で献金をささげるために両替をする人たちでした。教会の前で、礼拝に使う道具を売っていたようなものです。なぜこんな振る舞いをしたのか、ますますわからなくなります。
 マイスターエックハルトという人が、この個所の説教で、今日、神殿で商売をする人とは、心の中で、神さまと取引をする人のことを言う、といいます。私は神さまのため、教会のために、これだけのことをし、善行を重ね、聖書をよく読み、毎日欠かさず祈った、だから神さま私にお返ししてください、そんな心を持つことだといいます。神さまに義務を押し付ける人です。こちらが主導権を握って、神さまの恵みを引き出そうとする人です。しかし、神さまは義務からではなく、自由な意志の中で、人に恵みを会える存在です。エックハルトは、神さまは取引する相手ではないといいます。
 神さまは愛によってあなたと分かちがたく一体になった存在です。Ⅰコリント6章の終わりに、あなた方の体は聖霊を宿す神殿である、と書かれています。
 ヨハネによる福音書の中で、イエスさまと父なる神が一体であることが語られています。

 私が父の内におり、父が私の内にいる

 ヘーゲルという人が、結婚とは、お互いに主導権争いをしていた私と私が、私たちになること、つまり一体になることだといいます。もちろん、これは理想であって、実際の結婚はそうはならなかったりします。ただパートナーに困難が襲えば、あの人の問題ではなく、自分たちの問題として考えるようにはなります。
 ルターは言います、信仰とは、イエス・キリストを花婿として迎えることであると。あなたの困難は、これからは私の困難でもあり、私の持つ宝はこれからはあなたの持つ宝でもあると、イエスさまは語ってくれるといいます。喜ばしき交換といわれるものです。
 信仰を持ったものは、人生の中で、あれかこれかと何かを選び取るとき、イエスさまと相談しながら、決めていくものへと変えられたものです。イエスさまとともに、「私たち」になったものだからです。イエスさまの父なる神は、あなたの父でもあり、聖霊はあなたの体に宿るものです。三位一体の神は、あなたとも一体です。
 時に孤独を感じることがあるかもしれません。しかし、神さまはあなたと分かちがたく一体です。いつでも神さまはあなたと共にいます。イエスさまと共に歩むものとして、常にイエスさまと相談しながら、道を選んでいきたいと思います。


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