2024年8月4日 平和主日 |
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ヨハネ福音書15章9~12節 「 理解されるより 理解することを 」 | |
9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 |
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今日は平和主日です。誰もが平和を望んでいるのに、なぜ平和は壊れていくのだろうと思います。憂う気持ちはありますが、私たちには世の中を動かすような力はありませんから、平和のためにできることはないような気もします。しかし、マザーテレサはいいます。世界平和の始まりは、隣人との平和だといいます。一人ひとりの心の平安もあるかもしれません。私たちも、実際に自分と関わる人との関係が、平和であることを望んでいますが、すべての人とそれが実現できているとは言えません。なぜ戦争は起こるのか、なぜ隣人との間にいさかいが起こるのか、それを見つめることでしか、平和には近づけないのだと思います。 池上彰さんの本で、「世界から戦争がなくならない本当の理由」という本があります。ウクライナ戦争、イスラエルとハマスの戦闘、アメリカの視点、日本の視点など、19世紀から21世紀にかけて起こった戦争の原因などが書かれている本です。ケースバイケースで、それぞれ独特な理由があり、戦争が起こる理由はひとくくりでは語れませんが、割と多いケースは、追い込まれていると感じた国が戦争を起こすケースが多数見られます。国境の長いロシアは、自分の国の周りに緩衝地帯になる味方の国を作ろうとしました。だから、東ヨーロッパを自分の子分にしていました。それが、冷戦終結後、敵のNATOにどんどん加盟していき、ソ連邦の中にいたウクライナも加わろうとしている。追い込まれた気持ちになった。日本が戦争を起こしたのも、ロシアに攻め込まれる、という不安も理由の一つでした。ナチスが誕生したのは、第一次世界大戦でドイツが敗れた後、多額の賠償金が課せられ、追い込まれすぎたのも原因といわれています。テロがなくならないのも、大国や先進国が強引に自分たちのやり方を押し付けてくるときに、不満を持つ人が、追い詰められたネズミが猫を噛むように、一太刀あびせようとする。テロ組織を壊滅させても、不満分子がいなくならない限り、また新しく立ち現れてきます。剛腕で屈服させる、強引に懐柔させるやり方は、いったんは治まっても、必ず不満と反発が噴き出すようです。 今日の第二日課に、イエスさまは、和解者であると書かれています。神と人とを和解させるものであり、人と人とを和解させる方です。この和解をもたらすことによって、平和が実現したと書かれています。なぜイエスさまは和解者となりえたのか。イエスさまが神であり同時に人でもあったからです。神の思いと人の思いを理解していたから、和解させることができました。両方の理解者だからです。人と人とを和解させるのも、同じ人間同士であると同時に、神さまでもあったからです。 現在よく「分断」という言葉を聞きます。何があっても自分の位置をびた一文動かすものかと思っている人たちが、ただ自分の主張をぶつけるだけの状態しか作れない。もし、この分断を和解させることができる人がいるとすれば、両方の主張を理解しようとする人でしょう。自分が対立の当事者ならば、ただ、自分の主張をぶつけるだけではなく、相手の立場を理解しようとすることが平和に近づける道でしょう。 今日の福音書で、イエスさまは言います。互いに愛し合いなさい、と。イエスさまの不思議な教えに、敵を愛しなさい、と教えがあります。キング牧師の説教集のタイトルにもなっていますが、キング牧師は、この教えは、理想を語っているのではなく、とても実践的な教えだといいます。黒人差別と闘ってきたキング牧師は、長い公民権運動で学んだことは、反発には必ず反発が返ってくことだといいます。敵を愛することは、実践的で、現実的な方法であることに気づいていったといいます。 敵を愛すること、これは私たちの主である、イエスさまの教えです。決して私たちが自然にできることではありません。でも主の教えだからこそ、信じてやるべきことです。私たちは互いに愛し合うことすら、自然にはできないものです。しかし、イエスさまは、最初にこう語っています。 9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 |