202418日 聖霊降臨後第13主日

                  ヨハネ福音書6章51~58節 「 神の命とつながる 」 

 51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」 

  水曜日のダウンタウンという番組があって、ドッキリの企画でこんなのがあったんです。若手の芸人が居酒屋で何人かでお酒を飲んでいると、会話に入って絡んでくる人がいて、そのおじさんが、店内でAKB48のヘビーローテーションという曲が流れてくると「これ作曲したの俺なんですよ」って言いだすんです。芸人たちはすごいですね、とは言うんですけど、そのおじさんがトイレに行くと、芸人同士で、「本物?」「そんなわけないだろ」「本物だったら、こんな居酒屋で飲んでるわけないだろ」とか口々に言うんですけど、最後にカメラが入ってきて、ネタ晴らしをして、実は本物だった、というドッキリなんです。ネタ晴らしされた芸人は、「え、本物、失礼しました。」って、態度が一変するんです。「居酒屋でからんできた酔っ払いのおじさんから『あれ作ったの俺』といわれても信じられない説」です。
 今日の箇所でイエスさまは、

 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。

 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

  と言い出します。今日の日課の先を読むと、60節で「実にひどい話だ、誰がこんな話を聞いていられようか」と書かれており、66節には「弟子たちの多くが離れ去り、イエスと共に歩まなくなった」と書かれています。多くの人が、聞くに堪えない、信じられない話だ、そう思ったと書かれています。聖書は意外にも「信じられない」ということに誠実だと思います。イエスさまの体と血、イエスさまが与えるパンを食べることで、永遠の命が与えられる、初めてそう言われたときは、多くの人が信じられず、ひどい話だと言って離れ去ったということを正直に記しています。イエスさまの復活の場面でも、婦人たちが弟子たちに、復活したイエスさまと会ったといっても、信じなかったと書かれています。しかし、弟子たちが直に復活したイエスさまに出会います。そこですべてが塗り替わります。その時まで、半信半疑で聞いていたイエスさまのコトバが強い意味を持ちだします。十字架の時には、裏切り逃げ出していった弟子たちが、殉教をしながらも教会を続けていきます。私も復活したイエスさまに直接会ったわけではありません。本当にイエスさまが復活して、弟子たちに現れたのかどうかは、100%確実なこととして話せるわけではありません。ただ、言えることは、一度は逃げ出したイエスさまの弟子たちが、自分の弱さを語りながらも、迫害を受けながらも、殉教者を出しながらも礼拝を続けてきたということです。イエスさまのコトバを語り続けたということです。そして、今日この礼拝でも行われる聖餐式を続けてきました。パンを通してイエスさまの体をいただき、葡萄酒を通してイエスさまの血をいただく。それは罪の赦しを与え、永遠の命を与えるためです。イエスさまは言います。
 54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
 パンと葡萄酒は、赦しと永遠の命を与えてくれるだけではなく、イエスさまがあなたと常に共に居ることのしるしでもあります。神さまにしか与えられない救いがあります。死者に命を与え、罪人に赦しを与え、愛されたいと願うものに、敵をも愛する揺るぐことのない愛を神さまは与えます。復活したイエスさまが、命と赦しと愛のしるしです。今も続けられている聖餐式が、今私たちに与えられている、命と赦しと愛のしるしです。恵みを受けて、イエスさまと共に歩み続けましょう。


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