2024年11月10日 聖霊降臨後第25主日 |
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マルコ福音書12章38~44節 「 感謝と信頼 」 | |
12:38 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、12:39 会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、12:40 また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」 12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」 |
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今日の福音書の箇所で、ヨーロッパのある牧師の説教を読んでいると、「私は長い衣をまとっているし、会堂では上席にいる。それは礼拝の司式をするためにはしょうがない。結婚式の司式をすると、そのあとの披露宴で上席に座らされることもあるが、それも仕方がない。祈りは長いといわれることがあるが、決してやもめを食い物にしたことはない」そんな風に語っている説教がありました。ここで書かれている人一倍厳しい裁きを受ける律法学者と牧師はよく似ていると思います。ただ、これは衣が長いとか、上席につきたがるとか、そういう具体的なことをしたかどうかではなく、だれもが心の中にある、人と比べて自分の方が上かどうかを気にする思いです。自分より優れた人には嫉妬し、何か悪いところを見つけようとする。自分が上だと思えば、人を見下すような思いを持つ。人間の罪深い心です。その心は決して自分自身を幸せにはしません。嫉妬や見下しから幸せは生まれません。しかし、残念ながら、今この世界は、嫉妬と見下しにまみれています。 次に出てくる話は、やもめの話です。神殿のさい銭箱に、大勢の金持ちがたくさん入れていたといいます。ところが、一人の貧しいやもめがレプトン銅貨二枚、一クァドランス入れたといいます。イメージとしては、50円玉二枚100円入れた、というイメージです。その様子をイエスさまが見て、あのやもめは誰よりもたくさん入れた、といいます。お金持ちは有り余るものから入れたが、あのやもめは、貧しい中から自分の持っているものを全部入れたといいます。イエスさまは、この話を通して、何を伝えようとしているのでしょう。今日は財布全部献金しましょう、そういう話でしょうか。カルト宗教なら、そういうかもしれません。しかし、第Ⅰコリント13章に、いわゆる愛の賛歌と呼ばれる個所が出てきます。その中に、 全財産を貧しい人々に使いつくそうとも、誇ろうとしてわが身を死に渡そうとも、愛がなければ、私には何の益もない。
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