202523日 顕現後第7主日

                 ルカ福音書6章27~36節 「 愛は忍耐強く 情け深い 」 

6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。 6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

6:37 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」 

  今日の福音書の箇所は、「敵を愛しなさい」「人を裁くな」という小見出しがついています。比較的有名な聖書の箇所であり、聖書独特、キリスト教独特の教えだと感じます。この教えを聞いてまず率直に思うことは、こんな事実行できない、という思いです。右のほほをうたれたら、左のほほを出し、上着を奪われたら、下着をも差し出せといいます。こんなことをしていたら、生きていけません。ただ、この個所には鍵になる聖句があるといわれています。36節の 

36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。

 という聖句です。なぜ、このような教えが勧められているのかと言えば、父なる神がそのような方であるから、あなた方もそうでありなさい、イエスさまはそう教えます。わたしたちは、まず父なる神がどんな方であるのか、知る必要があります。

 第Ⅰコリント13章に「愛の賛歌」と呼ばれるものがあります。愛とは何か、という説明で最初に出てくる言葉は、

 愛は忍耐強い、愛は情け深い

 という言葉です。愛の定義で、忍耐強さが最初に語られるのは、とても特徴的であると思います。わたしたちの人生の中でも、たくさんではありませんが、忍耐強く、深い情けを持って、人に関わってくれる人がいます。裏切られても、忍耐強く赦し続け、喧嘩腰で関わってきても、忍耐強く愛し続け、搾取されても、なお与え続ける人です。イエスさまは言う、父なる神はそういう方であると。何よりも、イエスさまがそのような方です。人は愛されなければ、人を愛せないものです。今日の教えを実践しようとする前に、神さまが深い情けを持って、忍耐強く私たちに関わり続けていることを覚えることが先決です。
 今日の教えを繰り返し読んでみて思う。神さまは、自分が造った人間同士が、奪い合ったり、敵対して争い合っていることに心を痛めている。神さまにとっては争い合っているどちらの人間も大事な存在です。自分の子どもが兄弟同士でいがみ合っているようなものです。和解してほしい、赦し合ってほしい、愛し合ってほしい、そう願っているでしょう。神さまはそれを伝えるために、この世界にひとりごを与えて下さった。人間はそのひとりごを十字架につけて殺します。それでもそのひとりごを復活させて、もう一度赦し合うこと、愛し合う事を教え続けます。神さまは忍耐強く、情け深いかたです。
 あなたが神さまを裏切るようなことをしても、敵対するようなことをしても、神さまは忍耐強く、赦し続け、愛し続けてくれる。神さまが与えてくれた恵みを、ただ自分の欲のために使ったとしても、神さまは恵みを与え続けてくれる。そしていつの日か、人間同士が許し合い、与えあい、愛し合う、神さまの強制的な力ではなく、人間が自らの思いで、そのような世界を造り出してくれることを神さまは忍耐強く待っていてくださいます。今日の教えを実践しようとする前に、忍耐強い神の愛が、わたしたちに向けられていることを覚えましょう。そのことを深く感じいる時に、わたしたちにも忍耐強く、赦し続け、与え続け、愛し続ける思いが芽生えるかもしれません。その日が少しでも早く来ることを願って、まずはイエスさまの愛、神さまの愛を見つめましょう。


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