2025年4月6日 四旬節第5主日 |
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ヨハネ福音書12章1~9節 「 自由という賜物 」 | |
12:1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。7 イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。8 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」 |
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先週までルカ福音書を読んでいましたが、今日はヨハネ福音書12章です。ずっと読み進めてきたわけではないので、前後関係が分かりにくいと思います。過越祭の六日前、と書かれていますから、イエスさまが十字架にかかる六日前です。11章では、今日の箇所にも出てくるマルタとマリアの弟ラザロが死んで4日たった後、イエスさまによって生き返った出来事が書かれています。多くのユダヤ人が神を賛美し、イエスを信じたが一方で11章の48節には、
11:48 このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」49 彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。50 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」
もしここに固い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来我々を守るべきはずのものです。しかし、ある時にはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、システマティックに。私が小説を書く理由は、せんじ詰めればただ一つです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムにからめとられることのないように、常にそこに光を当て、警笛を鳴らす。それこそが物語の役目です。 そう書かれています。これはこの本の中で、人を助ける、救う、ケアするというのは時に汚名を浴びてでもルールや規範を破り、その人の大切にしているものを、一緒に大切にすること。その人の尊厳を守ること、それを説明するための引用です。人間は、理屈にはできない、大切なもの、愛するものを持つからです。 |