2025年4月13日 四旬節第6主日 |
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ルカ福音書19章28~40節 「 新しい王 」 | |
19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
19:29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、 19:30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
19:31 もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」 19:32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
19:33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。 19:34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。 19:35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
19:36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。 |
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捨てにくいものとして、人からもらった手紙があります。宣伝や銀行からの手紙のようなものは捨てられます。知り合いからもらったプレゼントも捨てにくい。それは単なるものではなく、祈りのようなものが加わっているからです。最近では、自分へのプレゼントという言葉も聞きますが、自分から自分へのプレゼントならば、不要になれば捨てられます。自分ではなく、他人からしかもらえないものがあります。 今週は受難週です。復活祭の一週間前に与えられる聖書の箇所は、エルサレム入城と呼ばれる個所です。イエスさまはエルサレムに入る直前に、二人の弟子を使いに出し、向こうの村に入ると、子ロバがつないであるのが見つかるから、それをほどいて持ってきなさい、といいます。なぜ、ほどくのかと聞かれたら、「主がお入り用なのです」と言ったら、赦してくれる、そう言って使いに出し、その通りにロバを連れてくる話が出てきます。なぜこんなことが可能だったのか、神学者は悩み、預けてあったものだとか、もともとの知り合いで合言葉を決めていたとか、いろいろ苦労して説明します。しかし、それならば、わざわざ聖書に載せる必要のない出来事です。素直に読めば、不思議と手に入った、ということだと思います。新共同訳では、「主がお入り用」と訳されていますが、「主が必要としている」とも訳せる言葉です。必要を辞書で引くと、「なくてはならないこと」そう書かれていました。できればほしいとか、あればいい、といったものではなく、「なくてはならぬもの」は、不思議と手に入る、イエスさまはそれを弟子に教えた気がします。 イエスさまは手に入れた、子ロバに乗って、エルサレムへ入られます。弟子たちは、今まで見た奇跡、今までのことを思いながら、「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように」そう歌いながら、エルサレムに入っていきます。少し不思議な気がします。今まで、イエスさまは自分を王にしようとする人から、ずっと逃げ続けていました。奇跡で人を癒しても、誰にも言わないように伝えていた方です。加えて、弟子たち当人は自覚していませんが、イエスさまは、この5日後に、この弟子たちに裏切られ、逃げられることを知っています。そのイエスさまが、王さま然りとしてエルサレムに入ってこられたのはなぜなのだろうと思います。今日の日課の終わりの方に、この騒ぎを止めようとして、ファリサイ派の人がイエスさまに、弟子たちを叱るように言っています。それに対して、イエスさまは、 「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
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