No.01

個人で礼拝を守るにあたって

 

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

 

ヨハネ福音書10章1~10節 「 本物の基準 」 吉田達臣

         

10:1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。10:2 門から入る者が羊飼いである。10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。10:4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。10:5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」10:6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。10:7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。10:8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。10:10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる

 

詐欺師から見て、だまされやすい人、ねらい目の人がいるそうです。それは寂しい人と、不安な人です。不安な人には、不安を強め、これをしなければならない、これを買わなければならないというと、その口車にのってくるといいます。寂しい人には、ほめてあげる、親切にしてあげる。するとすぐに信用してしまい、何でも言うとおりにしてくれるといいます。

私たちは、本当の親切と、詐欺をきちんと見分けることができるでしょうか。まあ、詐欺に出くわすというのは、極端な例ですが、すごく似合うと褒められて、ついつい買う気のなかった服を買ってしまうとか、CMで除菌しないと大変なことになるというすごい映像を見せられて、あれも買わなきゃ、これもしなきゃと思ってしまう、そんな思いとは無縁である、という人はほとんどいないと思います。

羊は、本当の羊飼い、良い羊飼いの声を聞き分ける、とイエスさまは言われます。私たちは正直おぼつかない。自信をもって、私も聞き分けられます、と言い切ることができない。

つい服を買ってしまうとか、除菌スプレー買ってしまうとか、それくらいのことなら、かまいません。でも、信用してついて行ってよりのか、信用すべきではないのか、大きな決断に迫られるときがあります。本当に信頼してよいのか、悪いのか、人生を大きく分ける決断を迫られることもあります。

ドイツのボンヘッファーという牧師は、ヒトラーが登場し、民衆が熱狂し始めたころに、ヒトラーの危うさをいち早く感じ取っていました。ラジオで語る機会があり、ヒトラーに対しての警戒を呼び掛け、その放送が、中断されるということもありました。私がそのことを本で読みながら感じたこと。はたして、自分はそのような段階で、ヒトラーの危うさを見抜くことができたであろうか、そう思いました。やがて、ヒトラー政権は、直接的にも、間接的にも、教会活動に干渉してくるようになりナチ政権と一部の教会グループがぶつかる。ドイツ教会闘争と呼ばれるものが起こり、告白教会というグループが、バルメン宣言というものを出します。ドイツ教会闘争自身は、必ずしも、うまく戦い抜いたとは言えませんが、このバルメン宣言については、本当に金字塔といえるものです。このバルメン宣言の中で、

 

聖書において、我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また、我々が生と死において信頼し、服従すべき神の唯一のみ言葉である。

 

そう語られます。よりどころとされている聖書の箇所の一つが、今日の日課の10章7~9節です。

「あなたのためを思って言っている」そういう態度で接してきた人はたくさんいました。そして本当にそう思ってくれていた人たちもいます。しかし、何人かは、自分をうまく利用しようとしていたと、あとで気づいたこともあります。ただ自分が優位に立とうとしているだけの人もいました。本当の意味で、自分のことを思ってくれている人の言葉と、そうでない人の言葉を私たちはどう聞き分けていけばよいのでしょう。

ある銀行員で、偽札を見つける名人の銀行員がいたそうです。偽札を見つけるコツを聞いてみると、最近出回っている偽札はここが薄いとか、透かしがどうとか、そういう情報を入れるのではなく、「本物をよく覚えておく」それがコツだそうです。本物を覚えておくと、偽札を見たとき、何か違和感を感じるそうです。

私たちは、とても恵まれていることに、本当の愛を知っています。本当に自分のことを思ってくれる人は、どんなことを語り、どんな振る舞いをしてくれ、どんな生涯を送られるのか、基準になってくれる方がいます。

わたしは良い羊飼い、盗人は、盗んだり、屠ったり、滅ぼそうとしている。しかし、本当の羊飼いは、命を与えようとなさる。しかも、豊かに与えようとなさる。本当の羊飼いは、羊のために命を捨てる。

おぼつかない私たちは、まず、イエスさまの声を聴くことです。イエスさまの御言葉を聞くことです。おぼつかない私たちでも、イエスさまが本物なのは、分かる。それは聞き分けられます。だから、イエスさまの声をいつも聞いていることです。

私たちにとって、羊飼いは、身近なものではありません。しかし、羊飼いは羊の名前を呼ぶ、といいます。一匹一匹見分けがつくんです。十把ひとからげではなく、一匹一匹の名前を呼んでくれる。私たちキリスト者、そしてキリスト者に招かれている人は、イエスさまに、名前を呼ばれた羊です。名前を呼ばれている羊です。イエスさまは、あなたの名前を知っています。イエスさまは、あなたを守ろうとしています。イエスさまは、あなたに命を与えようとしています。豊かに与えようとしています。

まずは、イエスさまを信じて、イエスさまの声を聴き続け、イエスさまに従っていきましょう。私たちには、イエスさまという、本当に良い羊飼いがいます。

 

〇 神さまにお祈りしましょう

〇 よく合う讃美歌  教会賛美歌 307番「この人を見よ」

328番「主イエスに従う」