No.03

個人で礼拝を守るにあたって

 

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

 

ヨハネ福音書14章15~21節 「 抱きしめ合う 」 吉田達臣

         

14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。14:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

 

最近よく、自粛警察という言葉を聞きます。本当の警察ではなくて、自粛をしていない人を見つけては、注意をしたり、ネットでさらしたりする人です。自粛をしていないパチンコ屋に張り紙をしたり、さらにはガラスを割ったり、ということもありました。

保育園で子どもたちを散歩させていると、1メートル以上離れていない、と文句を言う人がいたり、保育園の子たちが公園でお弁当を食べたら、クレームの電話がたくさん入ったという話も聞きました。幼稚園・保育園の実態を知っていると、子どもが1m以上離れながら散歩するほうが、よっぽど危険ですし、狭い教室の中でお弁当を食べるより、公園で食べるほうがより安全です。

人間自分が我慢していると、あまり我慢してなさそうに見える人を見ると、腹が立つ。だから自粛警察が増えてしまう。さらには、自粛警察、お前も外出しているだろう、といって「自粛警察」警察みたいな人も現れる。愛のない正義は、暴走を始めます。イエスさまが、ファリサイ派や律法学者たちと対立した点も、愛のない正義の問題です。

じつは愛と正義は、少しずれると、相性の悪いものです。ずれた正義が大きくなると、愛のない世の中になります。今は、そういう危険がとてもある。はき違えた愛情は、正しさをあいまいにするところもあります。

愛と正義がクロスしている場所があります。それがイエスさまの十字架です。教会賛美歌386番で、実は改訂版になって、この歌詞がなくなってしまったんですけど、改訂前の386番で、「十字架のもとぞ、いとやすけし、神の義と愛のあえるところ」という歌詞がありました。十字架は、愛と義が深く結びついたところです。イエス・キリストは愛と正義が深く結びついた存在です。

今日の日課の冒頭は、「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」という言葉で始まっています。ここで言われる掟とは、「互いに愛し合いなさい」という掟です。

私たちは、父なる神と、子なる神イエス・キリストの関係を見て、初めて本当の愛を知るのかもしれません。イエスさまを見たものは、父なる神を見たのだとイエスさまは語ります。私が勝手に語ったのではなく、父なる神が語ったのだといいます。そしてイエス様自身は、父なる神の内にいるといいます。まるで抱きしめ合っているように、お互いの内にいるといいます。一体になっているようです。

ゴールデンウイークもあって、幼稚園がしばらくほぼ休園状態で、らくちんなんですけど、それ以上につまらない。先日久しぶりに幼稚園に行ったら、一人の子どもが近づいてきた、両手を広げて抱っこをせがんできました、何も言わずに。私も何も言わずに抱っこして、しばらく抱っこして、満足したのか、子どもが抱きしめる力を抜いてきたので、そっと子どもを下ろし、子どもはおもちゃで遊び始めました。その間、お互いに、全然話しませんでした。久しぶりに子どもを抱きしめながら、ああ、子どもに抱きしめられていると感じました。言葉にはしにくい、幸せな感覚です。

イエスさまは、言います。20節で、「あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる」まるで抱きしめ合っているようです。

イエスさまは言います。

 

14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

 

イエスさまは言います。私は世を去るが、もう一人の私である聖霊があなたがたのところに来る。この聖霊の別名は、弁護者です。ギリシャ語では、パラクレートスという言葉ですが、他にも意味があって、「そばにいるもの」「慰めるもの」「励ますもの」です。別の弁護者といいますから、イエスさまも私たちにそんな関わりを持ってきてくれている方です。父なる神も、子なる神も、聖霊も、「そばにいるもの」「慰めるもの」「励ますもの」です。ときには何も言わずに、傍にいてくれたり、抱きしめたりしてくれる存在です。

そして、弁護者でもあります。この弁護者は、有罪のものを無罪にしてくれる悪徳弁護士ではありません。罪は罪として認めながらも、そうせざるを得なかったあなたを、あなたに代わって語ってくれる方です。罪を罪として認めながらも、もう一度生かすように、神さまに訴えかけてくれる方です。この弁護者は、弁護するだけでなく、私たちを慰め、励まし、そばに寄り添ってくれる方です。イエスさまが、あなたをみなしごにしないように、送ってくれている方で、永遠に一緒にいるようにしてくれる方です。

私たちは、神さまに愛されて、神さまを愛するようになります。愛するものを持たないとき、人は正しく生きられなくなります。私たちは、子どもの顔を思い浮かべて、罪をとどまるものです。親の顔を思い浮かべて、罪をとどまるものです。兄弟や、友人、恩人の顔を思い浮かべて、罪をとどまるものです。

神さまを思って、罪をとどめてください。

 

14:15 あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

 

まず、私たちに必要なことは、自分が神さまに愛されていることを信じることです。そこから全てが始まります。神さまに抱かれて、新しい一週間を始めましょう。

 

〇 神さまにお祈りしましょう

〇 よく合う讃美歌  教会賛美歌 329番「みうでにいこい」

365番「愛なるみかみに」