No.06

個人で礼拝を守るにあたって

 

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

 

2020年6月7日 三位一体主日

マタイ福音書28章16~20節 「 すべての民に福音を 」 吉田達臣

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 28:17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

今日は久しぶりに皆さんと礼拝ができ、本当にうれしく思っていますが、まずは、ジャニーズ事務所の手越君の話から始めたいと思います。ジャニーズ事務所のNEWSというグループに手越君っていうちょっとチャラい子がいるんですけど、今回のコロナ禍で、自粛要請が出ているなか、女の子引き連れて六本木に飲みにいっていたのが、週刊誌に載ったんです。かなり叩かれて、結局無期限謹慎になったんです。で、思ったんですけど、手越君をたたいた、特に男性は、コロナ感染の拡大を懸念して叩くという気持ちは、0とは言わないけど、恐らく20%くらい、手越君、呼べば女の子すぐ来て、もてて、うらやましい、そこが憎らしい、という気持ちが8割くらいだという気がするんです。河川敷でバーベキュー、サーフィンをしているとか、釣りをしているという通報も、自分は好きなこと我慢していて、危険の有無より、妬ましいという思いが結構ある気がするんです。前にも言いましたが、土居健郎先生が、正義の蓑をかぶっているが、8割以上は嫉妬です。それで、ああ、安息日の規定ってこうやって増えていったのかなって思いました。笑い話で済めばよいのですが、枝葉末節ばかりが増えて、本当に大事なことが後ろに隠れていく。。教会の歴史を見ると、不思議だと感じることがあって、改革、革命といっていいぐらい時代が変わる時、時代が進むとき、その原動力は、不思議なことに、原点回帰なんです。ルターの宗教改革もそうです。福音の再発見、本質に帰っていくとき、大きな改革が起こっていきます。

本質が見えると、こんなことにこだわる必要ないじゃない、っていうことに気付くんです。それで今までの慣習を捨てて、新しいことができていく。司祭は結婚をし、ラテン語ではなく、母国語で聖書が読め、母国語で礼拝ができるようになる。イエスさまの登場もそうです。十戒を中心とした律法の教えの本質、原点は、心を尽くして神を愛することと、自分を愛するように隣人を愛すること。ですから、安息日に、何歩まで歩いて良いとか、火は着けちゃダメとか、麦の穂を摘むとか、そんなことどうでもいい。安息日は、安息する日であり、隣人を安息させる日であり、立ち止まってこの日一日は、せめて1時間は、自己中心的な心を離れ、神さまの教え、神さまの愛に立ち返り、神の愛によって悔い改め、神の愛によって本当の平安、安息を与えられる日です。

今日の福音書は、マタイによる福音書の最後です。今日は三位一体主日で、今日の聖句の中に、

28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。

父と子と聖霊、という言葉が出てくるから、この箇所が選ばれています。ですけど、三位一体という教えより、この箇所にはとても重大なことが書かれています。ある注解書を読んで、ドキッとしました。不思議な感動を覚えました。おそらくその神学者は、それほど意識をせずに、何の気なしに書いた言葉なのかもしれません。その注解書に、こんな書かれ方がされていました。イエスさまは、ここで教えを更新されたと。で、確かに更新されているんですけど、先週祈りながら、考えながら、改めてよく考えると、更新という言葉じゃ、全然足りないくらいの、大転換じゃないかと思えてきました。更新したというより、乱暴な言い方をすれば、教えを変えたんです。もちろん、原理原則を変えたわけではありません。むしろ、原理原則に沿うならば、本質に戻るならば、そうなるべきなんです。でも、時が必要で、そしてこの時時満ちて、大革命がおこったんです。ハードル上げすぎているでしょうか。でも、皆さんにも、すごい転換だと改めて気づきなおしてほしいんです。その転換というのは、異邦人に聖書の福音、イエスさまの恵み、神の愛を伝えなさい、そう語っているんです。注解書ではこんな書き方でした。イエスさまは、一度この十二弟子たちを派遣している。その時は、金貨も、着替えも持っていくな、下着も二枚以上持っていくなと教えています。加えて、異邦人の地に行ってはならないとも教えていました。これは、この時は弟子たちがまだ未熟だったから、という理由だけではないでしょう。ファリサイ派などは、異邦人に触れることも禁じ、触れたならば、身を清めなければならないとも教えていました。旧約時代は、行き過ぎた部分もあったかもしれませんが、聖書の中に異邦人を穢れたもの、敵のように見なしている部分がありました。しかし、ここでイエスさまは、神さまの教えを更新されたんです。乱暴な言い方でいえば、神さまの教えを変えたんです。でも、隣人愛っていう本質を突き詰めると、当然そうなっていくべき方向で変わったんです。この時、時満ちて、イエスさまの福音、神の愛を、すべての民に伝えるようにイエスさまは命じます。民族に敵味方はないんです。福音は、すべての人のために備えられたものなんです。嫉妬に駆られて、足の引っ張り合いは、早目に気づいてやめにしましょう。あなたも神に愛されている。あなたに良い部分があるからではありません。あなたの弱さごと、愛されている。あなたが弱さの極みの中でも、あなたが罪の極みの中でも、神さまはあなたを赦し、愛されている。そのことを異邦人にもの伝える使命が使徒たちに与えられ、教会に与えられたんです。イエスさまは世の終わりまで、いつも私たちと共にいるといいます。福音を僅かでも隣人に伝える生き方を今週もしていきましょう。