No.08

個人で礼拝を守るにあたって

 

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

 

2020年6月21日 聖霊降臨後第二主日

マタイ福音書10章24~42節 「 われ弱くとも 」 吉田達臣

24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。36 こうして、自分の家族の者が敵となる。37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
ボンヘッファーの「説教と牧会」という本があるのですが、その中に、説教者が、大げさなアクションをしたり、普段使わないような大げさな表現をしているときは、内容に自信がない時である、って書いてあるんですけど、・・・当たっています。内容に自信がない時は、つい厚化粧したくなるものです。いやなこと書くなあ、と思いますけど、これは説教者ばかりではなく、色々なことに応用できます。
信仰者っぽいパフォーマンスが過ぎる人も、自分の信仰に不安がある人なのかもしれません。極端に自分をよく見せようとする人は、本当の自分にとても自信のない人。自分の国をすごいといいすぎる人って、今の自国に、自信を失いかけている人かもしれません。すごく厄介なのは、ワザとにやっているわけではなく、無意識にしているということです。無意識というより、防衛本能のようなものです。本当の自分に自信がないと、何とか自分を保つために、自分はすごいんだと自己暗示をかけ始める。ですから矛盾するように、人間うまくいっているときには謙虚になれるんです。でも、うまくいっていないときには謙虚になれないものです。自分のことはなかなか分かりませんが、他人を見ていると分かる。あの人全然うまくいってないのに、なんであんなに自信を持っているんだろう、そう感じるときがあります。その人は、本当の自分に自信がないからこそ、自己暗示をかけて、何とか自分を維持しているんです。いくら現実を指摘しても、不思議な理屈で跳ね返される経験をされた人もいると思います。今は、民族単位、国単位でも起こっています。本屋で、日本はすごい、とか、本当は尊敬されている日本とか、そんなタイトルの本を頻繁に見た時期がありました。おそらく、日本が自信を失っていく途中だったのだと思います。
程度の差はありますけど、だれもがそういう面を持っています。ただ、不思議なほどにほとんどの人が、自分はそんなことしていないと思っている。自分だけは例外のような気がしています。なぜなら、無意識にやっているから。防衛本能のようなものだから。自己暗示の敵は、暗示であることに気付くことです。だから、本能で防衛しています。
でも、聖書ははっきり教えます。私たちは罪人です。私たちは本当は弱いんです。強いと思っている人ほど弱いんです。私たちはどこかでうぬぼれています。私たちは、自分に甘いんです。ついでに言えば、自分の身内にも甘い。私は、それ自体は、悪いとは思いません。身内くらい、甘くないと。身内くらい、ひいき目で見てあげないと。自分に甘くなければ、自分を維持できないのが人間です。ある程度仕方がない。
でも、その甘えやひいきが、余りにすぎると、それは大きな問題を起こし、大きな痛手を引き起こすことがあります。自分の命を救おうとして、かえってそれで失うことがあります。自分の身内を守ろうとして、かえって失うことがあります。
神さまは、弱くても、あなたを愛しています。罪深くても、あなたを赦し続け、愛し続けています。私たちは、神さまの前で、自分の弱さ、自分の問題に向き合わなければならない時があります。そこに痛みは伴いますが、それは自分の命を救うことになります。時に、身内の問題に向き合わなければならないことがあります。そこに痛みは伴いますが、それは、その身内を救うことになります。
自分をすごいと心の中でつぶやき始めたら、あんなこともやった、こんなこともやったと過去の栄光を思い返すことが多くなったら、あなたは弱っています。そんな時は自分を頼らず、イエスさまに助けを求めてください。人のおがくずが気になり始めたら、そんなときは、自分に丸太が刺さっていると思ってください。人の粗が気になり始めたら、自分の中に不安や、弱さが出始めていると考えてください。そんな時には、自分に頼らず、神さまに助けを求めてください。
弱っていないときでも普段から、イエスさまを自分の上においてください。普段から、神さまを自分の上においてください。その信仰が、弱った時に、あなたを救ってくれます。
29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
世間の言葉、世間の評判に、心振り回されないでください。神さまは、雀一匹すら大切にされます。あなたの髪の毛一本すら、御手の中にあります。あなたは、たくさんの雀よりもはるかに勝っている、神さまは、あなたにそう言います。