No.13

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2020年8月2日 聖霊降臨後第9主日

マタイ福音書14章13~21節 「 あなたを通して 」 吉田達臣

14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 今日の福音書は、5000人の給食と呼ばれる個所です。イエスさまの奇跡物語ですが、この話には他にない特徴的な所がいくつかあります。一つは、4つの福音書、すべてに描かれているという点です。おそらく、どの使徒たちも、この時の話を、喜んで何度も語ったのでしょう。使徒たちは、事あるごとに、この出来事を思い返し、この出来事を語ったのでしょう。おそらく、それに関係あるのでしょうが、この奇跡のもう一つの特徴は、弟子たちが手伝っている、ということです。もちろん、弟子たちの力を借りて、奇跡を起こしたわけではありませんが、減らないパンをイエスさまが弟子たちに渡し、弟子たちが群衆に渡していきました。弟子たちも、この奇跡に参加していました。

今回学びなおして、初めて気づいたことですが、15章の終わりに、4000人の給食という、よく似た話が出てきます。これは、異邦の地、異邦人に対して行われた奇跡です。この時余ったパンくずは、七つの籠一杯になった、と書かれています。こちらでは、12になっています。ある神学者は、12使徒と、異邦人に給仕する7人の執事と関係があるのかもしれないと、言います。12の籠は、12使徒と結びついた数字かもしれません。

この出来事は、この群衆のために起こした奇跡でもありますが、もしかしたら、イエスさまは、この弟子たちのために起こした奇跡とも言えるかもしれません。私たちも、イエスさまの弟子です。ルーテル教会は、全信徒祭司性です。全信徒祭司性とは、祭司と信徒の間に、身分の違いのような違いは、ないということです。牧師と信徒に人間としての上下はありません。しかし、全信徒祭司性の意味は、それだけではありません。教会員一人一人が、神さまに、祭司としての役割を求められているということです。もう少し言えば、人のために祈り、人に仕えることを神さまに、求められています。

神さまは、あなたに恵みを与えたいと思っています。しかしそこに留まるのではなく、あなたを通して、あなたの隣人にも恵みを与えたいと切に願っています。あなたを用いて、あなたの隣人に恵みを与えたいと、常々願っています。そう言われると、少しおじけづきます。神さまに用いられることが嫌なわけではありません。そうではなく、自分にできることがあまりない、自分にはいろいろな意味で力が足りない、そう感じているからです。その感じ方は、決しておかしな感じ方ではありません。自分の足りない力を人に貸すより、もっと力のある人に助けてもらう機会を作ってもらった方がいい、それはその人のことを思ってのことでもあります。

今日の箇所で、人によっては、この人たちを帰らせようといった弟子を冷たい弟子だという人もいます。しかし、私はそうは思いません。5000人以上いる中で、こちらの持ち合わせは、パン五つと魚二匹です。最善は、帰れるうちに、早く帰してあげることと考えるのは、その弟子が、群衆を気遣ったからでしょう。それを承知でイエスさまは言われます。「行かせることはない、あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」弟子たちは、戸惑ったでしょう。弟子たちは、イエスさまに命じられるままに、自分の持ち合わせをすべてイエスさまのところに持っていきます。イエスさま天を見上げて、賛美の祈りを唱えます。そして、弟子たちに渡して、パンを配らせます。弟子たちは、自分の貧しい持ち合わせをイエスさまに委ね、イエスさまが用いられるとき、こんなに豊かになるのだ、ということを経験しました。使徒たちが、教会を作り、宣教に行き詰った時、何度もこの出来事を思い返したでしょう。相変わらず、自分の持ち合わせている力は小さい。でも、イエスさまに委ね、神さまに委ねる気持ちで、その小さな力を差し出していきました。そして、自分の力には全く見合わない、豊かな働きを続けていったでしょう。そして、パンくずを拾い集めると、十二の籠がいっぱいになったように、神さまの働きのおこぼれで、自分自身にも恵みが与えられたと感じたでしょう。

神さまは、あなたに恵みを与えます。しかし、それだけではなく、神さまはあなたを通して、あなたの隣人にも恵みを与えようとされます。神さまは時に、乏しいあなたの力を用いようとされます。「あなたがやりなさい」、神さまに、そう語りかけられることがあります。「なんで私」と、私たちは時々思います。神さま、私の力の小ささを知っているだろうに、そう思います。でも、神さまはそれを知ってて用います。私たちは、イエスさまに自分の小さな力のすべてを委ねるしかありません。しかし、その時には、神さまの力も加わり、思いもかけない働きになることがあります。相手が満足するだけでなく、神さまの働きの零れ落ちるもので、私たちも豊かにされます。

神さまは、あなたを通して、あなたの周りに恵みを与えようと、切に望んでいます。受けるよりも、与えるほうが幸いである。その幸いを信じて、神さまに自分の小さな力をささげて、隣人に仕えていきましょう。