No.14

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2020年8月9日 聖霊降臨後第10主日

マタイ福音書14章22~33節 「 それでも 何度でも 」 吉田達臣

14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 

学校でいじめにあっている子は、なかなか親に相談できないといいます。子どもは、自分がうまくできたこと、うまくいっている様子なら、喜んで話せるでしょう。しかし、人は、なかなか自分のうまくいっていないこと、うまくいっていない様子を人に知られたくないと思ってしまいます。これはもちろん、子どもだけではありません。大人になっても、自分の困りごと、うまくいっていないことをなかなか人に言えないものです。相談を受けたときは、もっと早く言ってくれればいいのに、と思うのですが、逆の立場になると、なかなかそれができません。とりわけ私はそうなんです。でも、私は、それを見越してくれているのか、友人や先輩が、こういうことで困ってはいないかと、助けに来てくれ、何度も助けられました。

今日の箇所は、先週の続きの箇所です。五千人の給食を終え、イエスさまは群衆を解散させ、弟子たちを船に乗せ、向こう岸へ行かせます。ここでは、強いて船に乗せ、と書かれていますから、イエスさまに強い意図があったのでしょう。イエスさまは残って山で祈られたと書いてあります。

弟子のうちの何人かは、もともとこの湖で漁師をしていましたから、向こう岸へ渡ることにあまり不安はなかったでしょう。しかし、そこに逆風が吹き始め、波に悩まされた、と書かれています。力がないわけでもなく、努力をしていないわけでもない、それでも前に進めなくなる時があります。

現在の私たちがまさに、そのような状態です。それまで順調に進んでいたのに、想像もしていなかった状況が起こり、ちっとも前に進めない。漕いでも漕いでも前に進めない。弟子たちが舟をこいでいたのは、夜明け前の夜中です。暗中模索という言葉がありますが、今はあらゆることが暗中模索です。礼拝をどう持つのか、集会はどうすればよいのか、教団総会どう持てばいいのか、礼拝に来られない人にどうすればよいのか。世の中のあらゆることが、ソーシャルディスタンスを保ちながら、これをどう成立させるのか、暗中模索が続いています。みんな一生懸命やっている。でも、状況がよくなっているとはとても言えない。

するとそこに、湖を歩いて、イエスさまが弟子たちの船のところに来ます。この時弟子たちは、イエスさまの助けを祈り求めてもいなかったでしょうし、助けに来てくれるとも全く思っていなかったようです。イエスさまが来た時、幽霊だと思ったと書かれています。

ある牧師がこの箇所で、こんな話をしていました。平日に聖書の学びをしていると、新しい人が来られたそうです。その人は、別の教会も含め、教会に来たのは初めてで、聖書も読んだことがなかったそうです。で、その日の箇所が、たまたま、今日の日課の箇所だったそうです。みんな一人ずつ、感想を言い合っている中で、その初めて来た人がこういったそうです。「いやあ、聖書を読んでびっくりした」と。初めにびっくりしたのは、イエスさまが祈っていることに驚いたといいます。私たちがイエスさまに祈るもので、イエスさまが弟子たちや、私たちのために祈ってくれることにすごく驚いた、というんです。その牧師は、自分にとってイエスさまが祈ってくれることは、当たり前に思っていたけど、聖書に出会ったばかりの人にとっては、そこを意外に思い、驚くのかと思ったそうです。それで、その人は、もう一つ驚いたことがあって、それは、イエスさまのほうが弟子たちを追いかけて行って助けに来てくれることだ、というんです。それまでは、わたしの方がどうか助けてください、神さま助けてくださいとすがって、何とか助けてもらえるものだと思っていた、というんです。ところが聖書では、イエスさまの方から助けを求める前に追いかけてきて、幽霊に間違われて、安心しなさい、わたしだ、とかいうことに驚いたというんです。その牧師は、その人の感想を改めて新鮮に感じたといいます。

聖書は教えます。イエスさまは、あなたのために祈っています。そして、助けを求める前に、あなたを追いかけ、あなたを助けてくれます。

信仰とは、私たちがイエスさまを忘れていても、誰も助けに来ないと思い込んでいても、神さまがあなたを追いかけて助けに来てくれると信じることです。何度も助けられ、もう自分の信仰は揺るがない、そんな経験をしても、それでもあなたは、強い風が吹けば、また信じられなくなります。それでもイエスさまは、「なんで信じないんだ」そう言いながら、何度でもあなたを助け続けてくれます。自分の弱い信仰を信じる必要はありません。それでも何度でも助けてくれる神さまの助けを信じましょう。