No.31

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2020年12月6日  待降節第二主日

マルコ福音書1章1~8節 「 悔い改め 」 吉田 達臣

神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 きっかけは、フェイスブックで知り合いかも、という表示で昔お世話になった人の名前があがりました。友達申請しようと思いませんでしたが、今どうしているんだろうと思ってその人のページをのぞいてみました。色々びっくりすることがあったのですが、その人トランプ支持者で、それも、Qアノンとか呼ばれる、陰謀論みたいな、ちょっと極端な意味でのトランプ支持者でした。トランプが圧倒的な得票差で再選されて、本当の悪型とされ、世界が変わる、くらいの話なんです。

 でも、僅差で負けて、どういうんだろうと思っていたら、これは戦略の内で、敵の不正を暴くために一回勝利を与えなければ、不正は暴かれない、これから裁判で明らかになるとか書いているんです。でも、裁判も今のところ退けられていて、どういうんだろうと思っていたら、早く証拠を出すとつぶされるから、最初から最高裁勝負、とか言うんです。なんかそれ以来、トランプ大統領に関するネットの記事を毎日追うようになりました。ただ、先週気づいたんです。どんな気持ちで、記事を追っているか。1割くらいは、その陰謀論、まさか本当じゃないよな、っている気持ち。でも、9割以上の気持ちは、この少しおかしな人たちが、どんどん追い詰められていく姿を、どこか楽しみながら見ている。そういう醜い気持ちがある。
 先週読んだ本で、フォーサイスという人が書いた、「聖なる父」という本を読みました。難しくて、良く分からない本ではありましたが、一つ感じたことがある。わたしとイエスさまとの大きな違いです。それは、十字架のイエスさまに示されている。十字架にかける人たちの赦しを願う、イエスさまの姿です。わたしとイエスさまとの圧倒的な違いは、イエスさまは、一人の滅びも願っていないということです。父なる神も、イエスさまも、罪は赦すが、正義は曲げない。だから、父なる神は、身代わりとしてイエスさまだけを裁かれます。そして、イエスさまは、人に決定的な裁きを与えず、罪人に対して、悔い改めを求めます。父なる神の教える正しさ、イエスさまの教える正しさは、全ての人に愛を与えようとし続け、全ての人に救いの機会を与えようとし続けることです。私たちの罪は、人を裁き、人を見捨てるところです。自分に合わない人が、ダメになっていくところ見て喜ぶ心に、私たちの罪、私たちの醜さがあります。そこには、必ず分断が起こり、激しい争いが生まれ、平和と平安を遠ざけます。そして私たちは、自分を愛せなくなっていきます。
 イエスさまに対する敵は、人を裁く人です。人を見捨てる人です。イエスさまの敵は、私たちです。しかし、イエスさまは敵である私たちを愛します。敵である私たちを救おうとされます。
 悔い改めとは、人を赦そうとすることであり、人を愛そうとすることであり、人を救おうとし続けることです。
 イエスさまの道を備えるため、洗礼者ヨハネが使わされました。ヨハネがしたことは、悔い改めを求め、罪の赦しを得させる洗礼を授けました。そしていう、私の後から来られる方は、わたしよりも圧倒的に優れている。私はその方の奴隷になる値打ちもない。それくらいに圧倒的に違う方、救い主が来られます。クリスマスの準備として、イエスさまに会う準備として、まず、悔い改めましょう。悔い改めとは、方向転換です。何度躓いたっていい。何度前に進めなくなってもいい。愛そうとする向きで、つまずきましょう。赦そうとする向きで、立ち止まりましょう。イエスさまの進む向きに、進んでいきましょう。