No.32

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2020年12月13日  待降節第三主日

ヨハネ福音書1章19~28節 「 神への畏れ 」 吉田 達臣

 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

 

 先日ユーチューブで動画を見ていたら、元日ハムの新庄選手がプロ野球復帰を目指して、合同トライアウトを受けた様子を流す動画がありました。結果は4打数1安打、最後の打席でタイムリーヒットを打ちました。1塁ベース上で、ガッツポーズをして喜んでいました。終わった後、岩ちゃん、岩本がインタビューしていて、新庄がインタビューの中で、一つだけ申し訳ないことをして、って言いだして、ヒット打った後、1塁ベース上でガッツポーズをしたことを謝っていました。へえ、新庄ってそんなこと考えていたんだ、と思いました。昔の野球選手は、余りガッツポーズをしませんでした。王さんも、掛布さんも、落合さんも。勝った方が、負けた相手をさらに痛めつけるようなことをしなかった。でも、ある時から、喜んだり、悔しがったり、ガッツポーズをしたり、自分の気持ちを素直に表現する人が増えましたし、見ている方もそれを喜ばしく受け止めていたと思います。それを悪い習慣だと思ってはいません。
 でも最近は、弱ったものをここぞとばかりに痛めつける。そういう傾向が強くなりすぎてきた。イエスさまは、この中で罪のないものが石をぶつけなさい、と言われましたが、今は見えないところから石をぶつけているようです。
 アメリカの法廷ドラマを見ることがありますが、何が真実か、ということは度外視して、あらゆる手段を使って、相手の証拠を法廷に使えなくしたり、不都合の陪審員を交代させたりする場面があったりします。
 今は、もう何でもありの殴り合いを、色んな所でしていて、荒れた世界になっていると感じることがあります。もしかしたら、それは今の時代だけではなくて、どんな場所でも、どんな時代でも、そうなる危険は、いつだってあるのかもしれません。教会だって例外ではありません。
 今日の日課は、先週に続いて洗礼者ヨハネの話です。今週は、ヨハネによる福音書の、洗礼者ヨハネの話です。エルサレムのユダヤ人が、祭司やレビ人を、このヨハネのもとに遣わしたといいます。エルサレムのユダヤ人というのは、具体的に言えば、サンヘドリン、最高法院、ユダヤ教の信仰の指導者であり、政治の指導者たちでしょう。その人たちから、遣わされた祭司が、あなたはメシアなのか、メシアに先立って遣わされるといわれる、あのエリヤなのか、モーセが世の終わりに現れるといわれたあの預言者なのか、そう尋ねる。洗礼者ヨハネはいずれも違うと答えます。遣わされた人は、きちんと報告しなければならないから、教えてほしいと願う、あなたは何者なのかと。
 するとヨハネは答えます。「わたしは、主の道をまっすぐにせよと、荒野で叫ぶ声だと答えます。ファリサイ派や律法学者は、聖書をよく学んでいた。しかし、自分に都合よく解釈していた。ファリサイ派、律法学者、最高法院の人たちにかけていたものは、神への畏れです。洗礼者ヨハネのもとに多くの人が来たのは、洗礼者ヨハネに、本当の神への畏れを感じたからです。
 私たちがクリスマスの備えとして、しなければならないことは、神さまへの恐れを取り戻すことです。神サメへの恐れを失った世界は、何でもありの、荒れ果てた、荒野のような世界になります。私たちはまず自分に言い聞かせなければなりません。神を畏れよ。主の道を整えよ。
 神さまへの本当の恐れを持った洗礼者ヨハネは、当時の多くの人に影響を与えました。そして今も、私たちに神への畏れを与えてくれます。
 私たちが少しでも神さまへの畏れを取り戻したら、この世の中にも小さな影響を与えるかもしれません。私たちも主の道を整えましょう。私たちよりもはるかに優れた方が来るからです。私たちに世を整える力はありませんが、イエスさまを信じて、自分に与えられている神さまからの役割を担いましょう。