No.33

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2020年12月20日  待降節第4主日

ルカ福音書1章26~38節 「 主に委ねる 」 吉田 達臣

 26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 37神にできないことは何一つない。」 38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 

 以前、幼稚園で、年長組で割としっかりした子で、みんなをうまくまとめて引っ張っていってくれるような、とても頭のいい男の子がいたんです。その子が、珍しく、預かり保育して迎えに来たお母さんに、靴を履かせてとか、抱っこしてとか、駄々をこねている。珍しいな、と思って見ていると、預かりの先生が、この子にとっては珍しく、その日一日、色んなことが、ことごとくうまくいかなかった、その様子を話していました。わりとうまくできる子でも、裏目裏目に出ることもあります。そんなことが重なると、普段できることもできなくなったり、わがままにもなったりする。でも、この子にとって幸いだったのは、それを見て分かってくれていた先生がいた。その日は、お母さんが靴を履かせてあげて、おんぶして帰っていきました。
 私たちは自分のすることをいつだって選べるわけではありません。したくないけどやらなければいけないことがあります。できないのにしなければならないこともある。普通の人は普通にできていても、自分にはできないことだってあります。なんとか辻褄を合わせてやっているように見せていますが、やはり、いくつもの穴を開けてしまう。
 普通そんなミスの仕方をするかとか、それに気づかないのはおかしいとか、言われることがある。普通の人から見たら、あり得ないような失敗をすることがあります。
 そんなとき心の中でつぶやく。「最初からできないって言ってたじゃないか。今現実に起こっているんだから、あり得るんだよ。」そう心の中でつぶやくことがあります。自分の今までの人生での経験、トラウマや苦手意識を持った経験。現在の自分の能力。その時の精神状態。疲れ具合や、前日に何があったか、それを全部説明できたら、このあり得ない失敗の言い訳もできるのに。そう思うことがあります。でも、そんな状況は、普通自分にしか分からないことです。

今日の福音書は、マリアの受胎告知の場面です。子ども達が聖誕劇で見せてくれると、とてもかわいく、素敵な風景に見えます。しかし、このときのマリアは10代であったと言われています。諸説ありますが、14歳くらいではないかという説もあります。その中で、救い主の母となると言われます。婚約中なのに、神の子を身ごもると言われます。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」マリアはそう語っています。天使は、いと高き方の力によって、そうなるといいます。神にできないことは何一つない。そう語ります。するとマリアは応えます。「私は主のはしためです」。はしためというのは、僕という言葉の女性形です。女の僕という意味です。私は神さまの僕。できそうとか、できなそうとか、したいとか、したくないとかは関係がない。僕は主の命じることを行うものだ。お言葉通りこの身になるように、そう告げています。
 その後の実際のマリアも揺れ動きます。イエスさまの家族が、イエスさまが気が狂ったのではないかと、連れ戻しに来るという話も出てきます。
 しかし、マリアはこのとき、戸惑いながらも、主に委ねていきます。
 私たち、時々、分不相応な役割を担うことがあります。やりたくなくてもやらなければいけないことがある。できなくても、なんとかしなければならないことがある。
 ビートルズの歌で、Let it be という曲があります。1番の歌詞は、

「私が困難の中にあるとき、母マリア現れ、知恵ある言葉を授けてくれた、Let it be 御心のままに

 御旨に委ねる。自分ではとてもできないと思っていたけど、周りの評価の方が正しくて、思いがけずできることもあります。そのおかげで新しい力を与えられることもあります。
 ただ、確かに上手くいくときばかりではありません。案の定できないこともある。いや、他の人が普通にやることすら、できないことがあります。あり得ない、なぜできないと言われても、自分のすべてを説明しなければ、分かってもらえないこともある。でも、一人だけ、あなたを理解できる方が居ます。それは神さまです。その神さまは、とても不思議な救世主、罪の赦しを与える救い主をお与えになりました。
 あなたがなぜできなかったのか、神さまはよくご存じです。他人と比べる問題ではない。あなたがあの時失敗した事情は、神さまは良く分かっていてくださいます。だからこそ、罪の赦しを与える救い主をあなたに送ったのです。この救い主にすべてを委ね、与えられた道を歩みましょう。