No.48

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年4月4日  主の復活

マルコ福音書16章1~8節 「 報われる世界 」 吉田 達臣

16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。16:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 プロの俳優さんから見て、すごい俳優さんは誰か、と聞くと良く名前があがるのが、大竹しのぶさんだそうです。あるオーディションで、火事を目の前にして怖がるシーンを演じてもらうと、たいがいの俳優さんは、激しく泣きさけんだりしたそうです。ただ、大竹しのぶさんは、一切声も出さず、身がすくんで動けない演技をしたそうです。独特の感性なのでしょう。私たちの乏しい想像力では、怖いものを見ると、泣き叫ぶように思う。でも、人が本当に怖いものに出会ったときは、声も出ず、身動きもできないのかもしれません。
 今日は復活祭、イースターです。復活に関して、聖書が繰り返し語っていることがあります。それは、復活が信じがたいことだ、ということです。今日の福音書の続きの部分で、マグダラのマリアが復活したイエスさまと出会い、そのことを弟子たちに知らせると、11節に、しかし、彼らは、イエスが生きておられること、そして、マリアがそのイエスを見たことを聞いても信じなかった、書かれています。その続きでも、エマオに向かう二人の弟子にイエスさまが現れ、そのことを他の弟子たちが聞いても信じなかった、と書かれています。幼稚園の先生になり、初めてイースターの礼拝に出た人もいると思います。イエスさまが、死んで復活した、そんなことは信じられない、と思っている人もいると思います。聖書が語っているのは、その人はまともだ、ということです。復活は信じがたいことです。
 しかし、信じている人たちは、無理やりそう思おうとしているわけではありません。作り話だとも思っていません。今日の日課の最後にこう書かれています。

 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 ここでマルコによる福音書は、もともとは終わっていました。それ以降は、後で付け加えたものだと考えられています。聖書でも、それ以降の箇所にはかっこがつけられています。こんな終わり方があるだろうか、という終わり方です。終わり方って結構大切で、その文章の印象がそのまま残ってしまう。なぜ、こんなことが書かれているのか、復活を知った時のこれが本当の反応だったのだと思います。神の業が自分の目の前で起こる時、最初の反応は畏れです。喜びの出来事であったとしても、最初の反応は畏れです。ペトロが弟子になる時、大量の魚が捕れたときも、最初の反応は喜びではなく、畏れでした。
 ただ、この復活は、この当時の人の願いであり、祈りでもありました。イエスさまが復活するまで、復活はだれも思いもつかなかったものではありません。イエスさまとサドカイ派の人が、復活に関する問答をしています。サドカイ派の人は復活を否定しましたが、ファリサイ派の人は復活を信じていたといいます。ファリサイ派のラビたちは、何人もの人に聞かれたそうです。良いことをしたり、人を助けたり、自分のことはいつも後回しにしてきたのに、この世で報いを受けず、早くに亡くなる人がいる。そんな人はどのように報いを受けるのか、その問いに対して、ファリサイ派の人は、復活を語り始めたといわれています。
 この世の命の終わりが、全ての終わりではない、それが復活のメッセージの一つです。これは、喜びでも与えてくれますが、恐れも与えられます。この世では気づかれなかったあなたの小さな愛の働きを神さまはすべて見ていてくれ、必ず報いを与えてくれます。しかし、あなたの犯した罪も、必ず報いが与えられます。死では逃げ切れません。恥は旅のかき捨てとばかりに、どうせ死ぬならと罪を犯すことは赦されません。復活の後に裁きを受けます。良いことも、悪いことも、必ず報いを受けます。だからこそ、命を与える救い主は、罪の赦しを与える救い主でもあります。
 イエスさまは新しい命と共に、罪の赦しを与えてくださいました。
 この世界は報われる世界です。神さまに対して誠実に生きましょう。小さな愛の働きを少しでも続けていきましょう。