No.52

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年4月27日  福住夕礼拝

マルコ福音書14章26~31節 「 お見通し 」 吉田 達臣

 26 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
27イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。
 『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』
と書いてあるからだ。28しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」29するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。30 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。

 今日の聖書の箇所は、本来明日、水曜日の日課として与えられた、福音書の箇所です。新しい日課になって、一週間の日課が、次の日曜日の日課に向けて整えられています。水曜日には、福音書が読まれ、次の日曜日の日課に関連すると言われています。与えられた箇所は、私にとって少し意外な箇所でした。ペトロの裏切りの予告の箇所です。四旬節、受難節の日課ならばわかるのですが、ここが復活節の日課なのかと思いました。
 この箇所、日曜日の日課の中には選ばれていない箇所です。厳密に言うと、受難主日を全部読めば、この箇所も含まれますが、ここだけを切り取られることはありません。でも、私たちにとって、とても印象深い箇所です。わたしもしばしば引用するエピソードです。最後の晩餐の席です。弟子たちが散り散りになることを予告します。イエスさまが十字架にかけられるとき、みんな散り散りに逃げていくことを予告されます。するとペトロは言います。「みんながつまずいても、私は躓きません。」と。するとイエスさまは、あなたはとりわけ裏切ると語っていきます。夜明けを告げる、鶏がなく前、この夜が明ける前に、あなたは三度、私を知らない、というだろう、そう言います。しかし、ペトロは反論します。たとえ一緒に死ななければならなくなったとしても、あなたのことを知らないなどと、決して申しません、そう言います。
 ある牧師は、このペトロの姿には大きな問題が見えるといいます。もちろん、ペトロだけの問題ではありません。私たちも抱えている問題です。それは、人と人とを分断する壁です。あなたとあなたの周りの人を分け隔ててしまう壁です。ある牧師は、もうすでに、弟子たちは散り散りになり始めているといいます。
 まず、イエスさまが、弟子たちが逃げてしまうことを予告した時、ペトロはこういっています。

「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」

 ここにペトロが抱えている大きな問題があるといいます。ここに私たちが抱えている問題、私たちを分断する壁があります。他の人はダメだが、私は大丈夫。実際、それを口にするかどうかは別にして、私たちの心の中に潜む思いです。その思いが、人を裁き、人を見下し、人を赦せない思いに繋がっていきます。それに対して、イエスさまは、あなたは他の人以上に躓く、そう予告します。ペトロはそれも否定します。死んでも裏切らないと。
 その思いに嘘はなかったと思います。無理に強がったわけでもなかったと思います。本気だったと思います。でも、実際のペトロは、イエスさまの予告通り裏切っていきます。子どもの頃、若い頃は、あんなに未来に希望を持ち、自分に期待していたのに、現実の自分に裏切られる、そんな思いにさせられることがあります。こんなに自分は弱くて、こんなに自分は情けないのかと、思わされることがあります。こんな見栄まで張り、こんなしょうもない嘘までつく、自分の正体が見破られないよう、何かを隠し、逃げ隠れする、そんな自分に出会うことがあります。
 イエスさまは言います。そんなあなたには、気づいていたと。あなたの本当の姿にはとうの昔に気付いていたと。弱くたって、何の問題もない。情けなくなって、何の問題もない。そんなのは想定の内。
 ペトロは躓いたことで、自分だけは違う、自分だけは大丈夫、そういう思いが砕かれていきます。自分も、弱いもの、自分も情けないものです。あなたはつまずくことで、自分の小ささを知ります。あなたは躓いたことで、人の愛を知ります。そして、弱いものを赦すことを覚えます。あなたは躓いたことで、落ち込んだら、故郷にでも戻るだろう。私は、復活したのち、あなたがたより先に、ガリラヤへ行く、と言います。
 明石家さんまが弟子時代に、師匠のところを無断で離れ、女性と駆け落ちをしたことがあったそうです。おそらく恥ずかしい話なので、さんまさん自分からは語りませんが、同世代の芸人に語られたり、再現ドラマなどを流されたりしたとき、照れながら、でも少しうれしそうに語る話があります。自分が飛んで、東京に行ったとき、師匠の松之助師匠は、周りの人たちに、あいつ必ず帰ってくるから、帰ってきたときはまたよろしく、そう言って回ってくれていたという話です。自分のはるか先まで見通してくれて、先回りして準備してくれていた師匠に、その師匠の大きさと、感謝を感じているようでした。
 イエスさまにとって、ペトロのことはすべてお見通しです。そんなことはお見通して、先回りして、待っていてくれます。神さまにとって、あなたの躓き、あなたの弱さ、そんなことはとうに、お見通してです。神さまは、つまずいた後のことを、先回りして、備えていてくれています。つまずきすら、あなたの糧にしてくれる道です。備えられた神さまの道を信じて、歩みましょう。