No.53

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年5月9日  復活節第6主日

ヨハネ福音書15章9~17節 「 友 損得ぬきの関係 」 吉田 達臣

9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 以前、クリスチャンの精神科のお医者さんの講演で聞きましたが、友達っていうのは結構不思議な関係のようです。他の動物に全くないわけではないですけど、人間に特徴的なもののようです。親子、夫婦の中の愛情は、自分の遺伝子を残す、ということで説明がつくといいますが、今日の福音書に書かれているような、友のために、自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない、と言われる意味での友、これは説明のしにくいものだそうです。
わたくし、6,7年前ですけど、一時期ずっと寅さん、「男はつらいよ」ばかりを見ていた時期がありました。最初の内は、とにかく、昭和40年代、50年代の風景が見たかった。その時代の風景を見ているだけで、疲れが癒されるような思いがありました。40年代、50年代の田舎、東京であっても下町。すごくゆっくりと時間が流れていました。今は、個人情報なんてやかましく言われますけど、基本他人を信頼していて、同じ電車に乗り合わせたとか、同じ旅館に泊まったとかで、普通に声をかけ、仲良くなったりすることがありました。困った人がいると、しばらくとら屋の二階に泊めてあげて、寅さんばかりでなく、さくらもおいちゃんもおばちゃんも世話をしてあげる、そんな情景を見ていたかったんです。
友だちって言うと、色んな意味がついちゃっていて、大人になると誰が友達に当てはまるのだろう、と思ってしまいます。この箇所で、友のために命を捨てる、などと言う話が出てくると、そんな友だちいないと思ってしまう。ただ、ここでイエスさまが言われているのは、利害損得関係なく、気にしなくていいよと、何かをしてあげられる人。あるいは、何かをしてくれる人。袖振り合うも他生の縁で、初めて会った人でも、助けてくれたり、助けてあげたり、そういう関係の人。善きサマリア人のように、初めて会った人でも、損得でいえば、損しかしないのに、助けてあげたり、助けられたりする関係。それが人間にとって、とても尊い、人間を人間たらしめているものだと、イエスさまは教えているんです。その究極的な形が、友のために命を捨てることです。イエスさまは、あなたの友として、あなたを救うために命を捨ててくださいました。イエスさまのほうが、あなたを選んだといいます。
ですから、必ずしも、いつだって命なんて捨てなくたっていいんです。自分の愚痴を聞いてくれた、何も言わずにそばに居てくれた、心配してメールをくれた。損得関係なく、友だから、兄弟姉妹だから、何かの縁だからと、僅かなことをしてくれた、それが人間にとって本当に大事なことだと、イエスさまは教えています。
私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがイエスさまの掟であり、命令です。掟、命令ですから、したくなくても、しようとしなければなりません。互いに愛し合おうとすること、それがイエスさまの元にとどまっていることであり、イエスさまに繋がっていることです。損得を超えて、友のために何かすること。なぜ、イエスさまは最後にこれを教えていったのか。11節にこう書かれています。

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

 そこには喜びがあるからだとイエスさまは教えます。あなたがたの喜びが満たされるためだといいます。
寅さんの時代は、そんな喜びが自然にあった。寅さんのころは、肩寄せ合わないと生きていけない時代でもあった。だから自然に出来ていた部分もあるでしょう。今は便利になり、人と付き合わなくてもよくなった。
更に今は、ソーシャルディスタンス、人との距離を開けなさいと教えられます。この一年、新しい知り合いができ、新しい友人ができた、という人はすごく減っていると思います。今は、確かに仕方がない。でも、それに合わせて社会が作り直されている。今まで以上に、対面で人と会わずに生きられる社会になってきました。
でも、イエスさまは命令します。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。それが、人間を人間たらしめるもの。損得抜きで、誰かのために、何かをしてあげなさい。そこには、人間の喜びがある、イエスさまは私たちにそう命じます。愛し、愛されて生きましょう。ただ生きるのではなく、喜びの中で生きるために。