No.54

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう

〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。

〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年5月16日  昇天主日

ルカ福音書24章44~53節 「 主は生きている 」 吉田 達臣

24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。 24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 今週初めて、Youtubeのライブ配信で礼拝をしています。深く考えて、ライブ配信にしたわけではないのですが、ライブって意味深いことであると感じています。サッカーの日本代表戦など、本当は生で見たかったのですが、都合で見れず、録画をして、結果の情報を入れず、録画したものを見ることがあります。結果の知らないものを見ているので、同じような条件なのですが、本当にリアルタイムで見るより、少しだけ興奮度が下がります。自分は知らないけど、もう揺るがない決着がついていて、それを知っている人がすでにいる。本当に生で見ていると、この先どうなるか誰も知らない中で、期待と不安と緊張の中で、同じものを多くの人が固唾をのんで見ている、その状況と少しだけ違いがあります。
 ライブ、日本語でいえば、生放送とか生、と言われる。生きているんです。新しい今が、作られている場面です。知らないが結果は出ているものを新しく知っていくのとでは、少しだけ違う。揺らぐものと、揺るがないものの違いです。生きているというのは、動くことであり、揺らぐことです。死というのは、動かなくなることであり、変わらなくなることです。
 人は生きている限り変わり続けます。だから難しいし、だからわくわくもドキドキします。
 今日は昇天主日です。復活したイエスさまが、天に昇っていったことを覚える主日です。昇天が意味している第一の事は、イエスさまは今も生きているということです。ヨハネによる福音書の中で、死んでいたラザロが、イエスさまによって生き返るという出来事が書かれています。しかし、聖書には書かれていませんが、ラザロはもう一度死んだんです。でも、イエスさまは、再び死ぬことなく、生きたまま天に昇っていきました。旧約聖書で、エリヤという預言者も、死なずに生きたまま天に昇っていきました。そのためユダヤ人たちは、本当に大変な時にエリヤが再び地上に降りてきて、助けてくれると信じられていました。イエスさまが十字架にかけられて死ぬ直前にも、エリヤが助けに来るか見ていよう、という記述があります。天に昇ったことの意味は、死なずに生きているということです。イエスさまが天に昇ったことの意味は、イエスさまは今も生きていると、聖書は教えています。
 でも、生きているって、変わることであり、揺らぐことでもある。昨日まで、頼みごとを聞いてくれ、今日も大丈夫だと思って頼んだら、今日は、断られた、ということも起こります。自動販売機であれば、お金を入れ、ボタンを押せば、大概思ったものが同じように出てきます。でも、人間は違います。そして、イエスさまが生きておられるということは、イエスさまは機械のような存在ではなく、自動販売機とも違うんです。これさえしておけば、必ずこうしてくれる、これさえ続けていれば、必ずこうなる、ということはありません。イエスさまと私たち、神さまと私たちの交わりは、生きた交わりです。