No.58

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年6月13日 聖霊降臨後第3主日

第一日課 エゼキエル17章22~24節 第二日課 Ⅱコリント5章6~17節
マルコ福音書4章26~34節 「 神の国 」 吉田 達臣

4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

 先日、人権に関して学ぶ機会がありました。人権って、全ての人は、その人の自由と尊厳が守られ、幸せになろうとする資格が平等に与えられている、っていう考え方なんです。この人権という考え方が広がる起点になっているのが、アメリカの独立宣言とフランス革命の時のフランス人権宣言なんです。この2つとも、全ての人に人権があるという根拠が、それは自明の真理だって言うんです。簡単に言えば、「当たり前でしょ」って言うんです。最初に提唱し始めたルソーという人も同じように言うんです。その人の自由が守られること、尊厳が守られること、幸せになろうとすること、そういうことが守られるべき、というのは、当たり前でしょって言うんです。言われてみると、確かにそういう気がする。でも、こういう宣言が出されるのは、それまで守られてきてなかったからなんです。自明の真理、当たり前って言うんなら、当然太古の昔から、守られてておかしくないのに、その宣言が出るまで、守られてこなかった。でも、この宣言が出され、多くの人が啓発され、それは当然だよねって思われて、奴隷制度がなくなり、拷問がなくなり、女性の参政権も与えられるように変わっていくんです。
 もう一つ、とても興味深かったのは、ある本の中で、「人権を創造する」という本ですけど、この本の中で、人権っていう考え方が出てくる、その土台、その準備になったのは、小説だって言うんです。ルソーも実は小説家で、人権という考え方に繋がっていく。どうして小説と人権がつながるのか、それは人は小説を読んで、自分と身分の違う人、自分と環境が違う人、自分と性別が違う人、自分と境遇の違う人、そういう主人公や登場人物と出会い、感情移入し、共感し、この人も必死で生きていて、この人にも幸せになってほしい、そういう思いが与えられる経験をしたからだというんです。
 私たちも、小説を読んだり、映画を見たり、ドラマを見たり、ドキュメントを見たりして、時には褒められた生き方ではないけど、この人も必死で、これ以外生きようがなかったんだなあ、と思ったり、この人にも幸せになってほしいと思わされたりすることがあります。自分と全然違う、反対くらいの人だけど、この人も救われてほしい、と思うことがあります。
 人権と隣人愛は、全く同じものではありません。「権利の主張」と「愛」って、ぴったり来ないところも出てきます。でも、とても共通しているところもあって、私たちは、自分が大切にされたいと願っています。今の現実が大切にされていなくて、自分なんかという思いを抱くことはあっても、本当の心の底は、大事にされたい、大切にされたい、愛されたいと願っています。隣人愛の教えは、あなたがそう思っているように、あなたの隣にいる人も、同じように大事にされたい、愛されたいと思っていることに気付くことです。すべての人が、心の底では、そう願っていることに気付くことです。
 まあ、そうは思って見ても、愛せない人、その人の幸せを願えない人がいることも、私たちの現実です。でも、小説を通し、映画を通し、テレビを通し、何よりも現実の出会いの中で、ほめられたものではないこの人も、自分とは相いれないタイプのこの人も、思いがけない側面があり、それに気づいて見方が変わることがあります。自分が勝手に偏見を持っていたことに気付くこともあります。
 人権の不思議な所のもう一つは、三歩進んで二歩下がる、と言ったもどかしい歩みであっても、いったん問題意識が与えられると、少しずつ前に進んでいくというところです。
未だに差別はあり、偏見がある世界です。気づかぬうちに、人を傷つけ、生きにくい思いをさせている私たちであります。でも、どの人も、自分と同じ人間、自分が大事にされたいと心の中で願っているように、この人も、あの人も同じように願っている、その気づきは、ゆっくりとゆっくりと、でも着実に前に進んでいると信じなさいと、聖書は語っています。

 神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。

 私たちが何もしなくても、この愛は広がり、神の国は広がっていきます。でもできれば、この素晴らしい働きに、自分もわずかながらに参加した、そんな思いを持ちたいものです。この新しい一週間も、自分を愛し、隣人を愛していきましょう。