No.59

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年6月20日 聖霊降臨後第4主日

第一日課 ヨブ38章1~11 第二日課 Ⅱコリント6章1~13
マルコ福音書4章35~41節 「 神の国 」 吉田 達臣

4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 4:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

 AI人工知能が、人間の知能を超える、みたいな話を聞いたことがあります。それは、機械に支配される、恐ろしい時代が来るかもしれない、みたいな話として語られますが、ある意味、人間が人間を超える存在を作ったというのは、人間を造った神さまを超えるような思いが隠れているのかもしれません。でも、そんなことは、簡単には起こらないようです。
 AIと人間を対話させようとしてみて分かったことの一つ、それは、人間の対話ってとても不思議で、神秘的なものであるということです。
「吉田先生って素敵ですね」と言われて、人はいつだって同じような受け止め方をするわけではありません。褒められた、と感じることもあれば、何か頼みごとがあるのかな、と思ったり、完全な皮肉、嫌みであったりもします。勘違いすることもありますが、人間は何となくそれを聞き分けたりします。同じ情報「吉田先生って素敵ですね」っていう言葉ですが、人は心を聞き分けながら対話しています。それをどこで聞き分けているのか、きちんと言葉にして、数量化できなければ、プログラムにすることはできません。それが、不可能と言えるくらいに難しいそうです。何の対話もする前に、人間は、この人は話しかけやすそう、とか、機嫌が悪そうだから、今は話しかけないほうがいいとか、人間は見分けている。それってAI にやらそうとしてみて分かったことは、とても不思議で、神秘的と言っていいくらいのことだといいます。「人間の作ったAI」と「神さまが造った人間」には、まだまだ随分な圧倒的な差があるようです。
 今日の福音書は、イエスさまと弟子たちが船に乗っている。イエスさまは寝ていたといいます。弟子たちの何人かは、もともと漁師です。しかし、どんなに得意なものであっても、突風が吹き、大きな波をかぶると、どうしようもなくなります。私たちも同じです。どんなに熟練し、経験があっても、突風が吹き、大波をかぶれば、対処できないことが出てきます。しかし、この状況でイエスさまは、なお寝ていたといいます。この時弟子たちは、純粋に助けを求めたのではなく、こんな大変な状況でのんびり寝ているイエスさまに対し、腹立たしい思いがわいたようです。弟子たちは言う。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」イエスさまに対する批判のように聞こえます。するとイエスさまは、風や波を叱ったといいます。すると風はやみ、波は静まったといいます。
 神話や伝説、おとぎ話の中にも、嵐を鎮めるような、似たような話はあるかもしれません。しかし、私個人の話かもしれませんが、聖書で初めて出会う感情があります。他の話でいえば、嵐は静まり、ホッとした、めでたしめでたし、の後味を残してもいい話のような気もします。しかし、聖書では、神さまに対して、イエスさまに対して、その圧倒的な存在を感じて、畏れを与えていきます。
 今日の第一日課はヨブ記です。神さまとサタンの会話から始まる話です。ヨブという人は信仰篤い人だったが、サタンは、ヨブが信仰篤いのは、家族にも恵まれ、財産にも恵まれているからだといいます。それを奪えば、信仰もなくなるという。神さまはサタンに、試してみるように言います。ヨブは、子どもを失い、財産を失っても、信仰を失わない。私はもともと裸で何も持たずに生まれてきた、私は裸で神のもとに帰る、そう言います。しかし、サタンは更に、ヨブに対し、辛い病を与える。するとヨブは、なぜ善人にも大きな苦しみが与えられるのか、という疑問を持ち、4人の友人と対話をする話です。そして、最後には、神さまご自身が、ヨブに現れる。それが今日の日課です。神さまは、なぜ善人に苦しみが与えられるのか、それを直接答えるのではなく、天地創造の造り主の圧倒的な存在感を示します。するとヨブは、納得してしまう。初めて読んだとき、これで終わりなのかと思ったことを覚えています。
 でも、今は思います。私たちは、この世界を分かったつもりになってはいけません。神さまは、私たちが想像している以上に、圧倒的な存在です。人間を分かったつもりになってはいけません。自分のことを分かったつもりになってはいけません。神さまは、私たちに、私たちが今分かっている以上の力を与えてくださっています。
 聖書は次の5章で、イエスさまの奇跡の話が続いていきます。考えようによっては、今日の箇所も5章に入っていてもよかった。でも、今日の箇所は4章なんです。先週の箇所の続きなんです。成長する種のたとえ、からし種のたとえの続きなんです。私たちの努力や予想をはるかに超えて、神の国は大きくなるという話の続きなんです。
 私たちは突風なんて食らいたくないし、高波もかぶりたくない。でも神さまは、時にそれを与えます。今、人類は、高波を食らっている。神さまは、何で助けてくれないのだろう、眠っているんだろうと思ってしまいます。でも、その中で、ワクチンを他の国に送ったりしている。自国だけ助かっても、問題の種は残り続けることに気付いたからです。色んな思惑がらみであっても、この試練の中で、他国を助けることが、自国を助けることにつながることを知り、おぼつかない手で、それを始めています。試練を通して気づくことがある世界です。試練を通して気づくことがある人生です。
 神さまは、私たちの思いを超えて、私たちを導き、この世界を導かれています。試練の中にあっても、主を信じ、主に委ねて、主と共に舟をこいでいきましょう。