No.62

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年7月11日 聖霊降臨後第7主日

マルコ福音書6章14~29節 「 神さまは死なない 」 吉田 達臣

6:14 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」15 そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。16 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。17 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。18 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。19 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。20 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。21 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、22 ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、23 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。24 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。25 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。26 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。27 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、28 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

 今日の日課に関する、ある牧師の説教を読んでいると、旧約聖書のヨナ書の引用を始めました。今日の話とどう関係するんだろうと不思議に思いながら読みました。私がヨナ書を最初読んだときに、ピノキオを思い浮かべたことを覚えています。ヨナ書は、北イスラエルを滅ぼしたアッシリアという国のニネベに行くことを神さまがヨナに命じます。ヨナは自分を使って神さまが、ニネベを滅ぼしに行くことを期待していましたが、神さまがヨナに命じたことは、ニネベを悔い改めに導くことでした。不満だったヨナは、ニネベの反対方向に向かって逃げる。船に乗って逃げようとしますが、その途中で嵐にあう。ヨナが神さまに逆らって逃げていることが分かり、ヨナはぐるぐる巻きにされて船から海に投げ込まれる。溺れ字ぬ直前に大きな魚に飲み込まれてヨナは助かり、そこで悔い改める。三日間魚の腹の中で過ごし、魚から吐き出された先はニネベ。結局ヨナは、ニネベで悔い改めを宣べ、ニネベは悔い改めて、神さまに祝福されていく。でも、どこかでヨナの不満は残る。ニネベが悔い改めず、神さまに滅ぼされることをヨナは願っていました。すると暑い日差しで弱ったヨナに、神さまは、一日にして大きな木を作ってあげ、木陰を作ってあげる。しかし、翌日には、虫がその木を食い荒らし枯れてしまう。ヨナはまた不満になる。そこで神さまは世何言います。自分の力を使わず、一日にしてなったその木をあなたは惜しむ。ならば、大いなる都ニネベを私が惜しまずにいられるだろうか。祖には、12万人以上の右も左もわきまえぬものと、無数の家畜がいるのだから、そう言ってヨナ書は終わります。引用した牧師は言うんです。当時ユダヤ人たちは、子のヨナ書をどんな思い出来ただろうと。神さまは、イスラエルを滅ぼしたアッシリアの首都ニネベを守ろうとしている。思い入れを持って愛しておられる。神さまは、あなたの敵を愛している、そう語る。なぜ、今日の箇所で、その牧師はヨナ書を引用したか。洗礼者ヨハネは、ヘロデを愛していた。神さまは、ヘロデを愛していたというんです。
 ここで出てくるヘロデは、クリスマスの話に出てくるヘロデではありません。その息子で、ヘロデアンティパスト言われています。ヘロデあんてぃぱすは、ユダヤ全土ではなく、ガリラヤ地方を含む、ユダヤの一部を支配していた。それでも、その地の権力者です。ヘロデは、既にほかの女性と結婚していましたが、自分の兄弟の妻を見初め、その時の妻を捨て、兄弟の妻を自分の妻にしてしまう。ダビデ王も似たようなことをしていますが、預言者なたんに叱責されています。でも、この時は、ヘロデを叱責するものがいなかった。時の権力者に、物言うものがいなかった。ただ、洗礼者ヨハネだけが、ヘロデの罪を指摘した。それでヨハネはヘロデにつかまります。ただ、ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたができないでいたと書かれています。ヘロデは、ヨハネのことを正しいせいなる人であると感じ、ヨハネの教えを当惑しながらも、喜んで聞いていたといいます。誰も物言わぬ中、ヨハネだけがヘロデの罪を告発したのですから、ヨハネはヘロデに対し、厳しいことを語ったでしょう。しかし、そこの言葉はおそらく、裁く言葉ではなく、救おうとしているものの言葉だと、ヘロデには感じられたかもしれません。だからこそ、非常に当惑しながらも、喜んで聞いたのだと思います。
 私たちも似たような気持で聖書を読む。当惑しつつ喜びを感じながら耳を傾ける。喜んで聞きながらも、どこか当惑しながら聞く。聖書は決して耳心地のいいことを語ってくれるばかりではありません。神さまは、他にはない仕方で、あなたの罪を見ています。私たちは、腹の底では自分の罪に気づいていながら、それに向き合うことが恐ろしすぎて、自分で自分をごまかしている。心の中で、誰にも聞かれていないのに、何かの言い訳をしているときがあります。でも、言い訳をしている時点で、本当は悪いと思っている。
私たちは、いつかイエスさまと対面するときが来ます。その時、私たちは喜びつつも、大きな恐れに満たされるでしょう。
 ヘロデは、自分の罪を指摘する洗礼者ヨハネを結果的に処刑しますが、自分の罪に対する恐れは消えません。イエスさまが現れると、ヨハネが生き返ったのだ、と言ってイエスアマを畏れます。このイエスさまも人間の手によって処刑されますが、復活します。み言葉は死なない。神さまは死なない。蓋をしてごまかしてしまうことはできません。
 イエスさまと出会うとき、大切なのは、この方が自分の味方であると信じることです。あなたのすべての罪を見抜かれるこの方は、あなたの救い主であることを信じぬくことです。
 私たちは、自分の罪深さに対する畏れを失ってはいけません。でも、それ以上に救い主を信じるんです。自分の罪を神さまに対してごまかさず、それでも神さまは、罪人であるあなたを揺るがずに愛していることを信じて、日々悔い改めて生きていきましょう。