No.63

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年7月18日 聖霊降臨後第8主日

マルコ福音書6章30~34節 53~56節 「 強く求める 」 吉田 達臣

6:30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。 6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
53 こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。54 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、55 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

 私の家には、高校生になるくらいまで、ビデオがありませんでした。レンタルビデオ店もそれほどなかった。どうしても見たいテレビは、万難を排して、その前に風呂に入り、宿題も終わらせ、用事を済ませてテレビの前にいるしかなかった。繰り返し見ることもできなかった。そんな時に友人から電話がかかってくると腹が立ちました。お前あの最終回見てないのかよ、そう言ってけんかになったこともありました。スポーツ中継だったり、今では伝説のような番組を見ることは、一つの体験のようでした。今は、勝手に録画してくれたりもします。見逃しても、もう一度見る手段があったりする。だから便利で安心ですけど、もうあんなテレビ体験はできないのだろうと思います。
 選択肢がない時は、その一つに集中します。日本人の牧師ですが、フィリピンに宣教師として派遣された経験のある先生がいました。フィリピン宣教師時代の一番思い出に残っていることは、よく祈りが聞かれたことだと言っていました。20年くらい前の話ですから、当時は、首都のマニラ周辺以外は、まだ病院や薬屋がそれほどなかったといいます。本当に祈るしかなかったといいます。でもその祈りが、内心では驚くほどに聞かれたといいます。
 選択肢が多く、もう一度やり直すチャンスがあることはとてもいいことです。でも、その分、以前ほど、一つ一つを大事にしなくなっているのかもしれません。
 今日の福音書は、2か所ありますが、関連する2箇所です。最初は、派遣された弟子たちが帰ってきて、報告する。するとイエスさまは言う、人里離れたところへ行って休もうと。そこで船にのって人里離れたところへいく。しかし、それを聞いた多くのものが、イエスさまたちを追いかけていきます。船から降りたイエスさまは、その群衆を見て、飼い主のいない羊のようだと憐み、話を始めたといいます。イエスさまも、弟子たちも、少し休ませてあげたい、そんな思いにもなります。でも、追いかけてきた人たちも必死だった。イエスさまの話を聞き、イエスさまに病気を癒してもらうチャンスなど、もう二度と来ないかもしれない、そう思ったからです。
 2番目の話は、イエスさまと弟子たちが、湖の向こう岸につく、ゲネサレトという土地です。イエスさまが来たことを知って、どこでもイエスさまがいる場所へ、病人を床に乗せて運んだといいます。何気なく書かれていますが、自分が癒されるためではなく、病人の床を運んだんです。イエスさまの服に触れさえすれば、癒されるかもしれない、そう思ったからだといいます。彼らにとっても、イエスさまと直に会えるのは、千載一遇のチャンス。もう二度と訪れないと思ったからでしょう。だからこそ、ここまでの行動をとったのでしょう。
 私たちは今、たくさん選択肢を持ち、あれがだめならこれもある。今回がだめでも次がある、そういう思いに慣れており、なお強く求め、諦めずに祈り、この一つを大事にするという思いから遠ざかっているのかもしれません。
イエスさまは求めるものに与える方です。飢え渇くものに深く憐れむ方です。追いかけてくるものを見て、予定を変更され、話をし、病人を癒す方です。神さまは、人の求める姿を見て、予定を変更される、聖書にはそう書かれているんです。
 求める前に諦め、すぐに祈りをやめる私たちに、なお求めること、なお祈ることを導いてくださっています。
 私たちは今、これからどんな風に生き、これから何を求めて生きていけばよいのかすら分からなくなっています。どう進んでよいか分からない、飼い主のいない羊として、神さまからの導きを求めましょう。イエスさまは、必ず足を止め、深く憐れんで、私たちを癒し、私たちを導いてくださいます。