No.84

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2021年12月12日 待降節第3主日

ルカ福音書3章7~18節 「 ありふれた奇跡 」 吉田 達臣

3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
15 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 3:16 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 3:17 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 3:18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

 今日の説教題は、「ありふれた奇跡」です。同名のドラマがありました。見てないんですけど、でも、このタイトルがすごく印象に残っています。「ありふれた奇跡」という言葉で思い起こすことの一つが、「命」です。宇宙飛行士になり、月に行った人で、何人か牧師になっている人がいます。なぜ牧師になろうと思ったのか聞いてみると、月に行った時の初めの印象は「命がない」という印象だったそうです。地球にいるときは、命があふれていて、それが当たり前だと思っていた。でも、宇宙に出て、月に来てみて、命は改めて不思議なものだと感じたそうです。命以外にも、私たち、あって当たり前、ありふれたものと思いながら、実はとても不思議で貴重なものがある気がします。
 今日の聖書の箇所は、洗礼者ヨハネの続きの部分です。ヨハネはユダヤ人に向かって、

 蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

 自分たちはアブラハムの子、ユダヤ人であるから、神の怒りから免れる、そういう思いを持っていたのでしょう。でもそんなことはない、と教えます。これはキリスト者でいえば、自分は洗礼を受けているから、神の怒りから免れる、と思っているのか。良い実を結ばないものは切り倒される、そう言われているようです。
 すると、徴税人や兵士が、自分はどうすれば良いか聞きに来ます。ヨハネが教えたのは、自分の権威を傘にして、ぶん捕ったり、脅したりせず、普通にすれ、ということでした。徴税人や兵士は、私たちと身近な存在ではないので、自分とは違う悪人だと思ってしまいます。しかし、本当にそうでしょうか。人間は、追い詰められると、自分のずるさや、醜さが顔を露わにする。でも、それだけではありません。人間は、自分が優位な立場に立つと、自分のずるさや醜さが、顔を出すことがあります。親子であったり、上司であったり、先輩であったり、仲間内でのちょっとした力関係の中でも、客と店員といった関係でも、自分が優位な立場に立つと、自分の醜さが顔を出す。あるいは、出さないように必死に自分を抑えていたりします。人は必至で隠していても、自分自身ではわかっている。それが顔を出さないように必死で抑えているけど、本来の自分自身はかなり問題を抱えた人間です。ラジオのパーソナリティーで、普段弁護士をしている人でもあるんですけど、鬼束ちひろさんが、救急車を蹴ったっていう事件があって、ワイドショーで取り上げられているのを見たけど、コメンテーターが、私には理解できないっていう人がいたけどそうかなあ、って言っていました。やっちゃいけないことだし、やらないようにしているけど、自分の中にはいら立ちや、怒りや、不安や劣等感もあって、変な自分が出ないように必死に抑えている。必死で抑えているだけ。しちゃいけないことする自分は、間違いなくあって、それを抑えているだけ。そして、いつ抑えきれなくなるか分からない。抑えきれなくても、抑えられても、しちゃいけないことをしようとする自分は着実にあります。
 神さまは、人間に、イエスさまが登場する前に、その道を整えるものとして、洗礼者ヨハネを与えました。私たちは、イエスさまに会う前に、洗礼者ヨハネに会っておかなければなりません。神さまが、ヨハネを用いて語らせたのは、明らかに神さまの裁きです。ヨハネは言う、私の後から来る方は、手に蓑を持って、実の入っていないもみ殻を焼き払われると。私たちが自覚しなければならないのは、私たちは本来、焼き払われる側の人間だということです。神さまは、ヨハネをもちいて、そのことを改めて教えなおしている。
 私たちに与えられたのは救い主です。神の怒りから免れている人に、救い主は必要ありません。私たちは、本来焼き払われるところを、イエスさまによって救われるんです。イエスさまの愛によって救われるんです。あなたがイエスさまに愛された、そういう奇跡が起こったんです。愛されるって、恵みなんです。驚くほどの恵みなんです。あなたが愛されるって、当たり前のことではないんです。とても有り難いことなんです。
 でも、とても不思議なことに、あなたはあふれるばかりに、神さまに愛されたんです。神さまばかりではありません。あなたはいろんな人に愛されている。実は不思議なことで、奇跡といってもいいくらいなんです。この奇跡を大事にしましょう。この奇跡をあらためて感謝して、新しい一週間を始めましょう。