No.102

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年4月24日 復活節第二主日

ヨハネ福音書20章19~31節 「 ゆるし 」 吉田 達臣

20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 20:21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 20:23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 ある映画監督が、男はつらいよ、寅さんを逆の順番で見たそうです。寅さんが、だんだんやな奴になっていったと言います。「ちょっと思い出しただけ」という映画があるんですが、ちょっと変わった映画で、最初何を見せられているのか分からなくて、二つのバラバラな話があって、この話がつながっていくのだろうかと思ったんです。途中でこの映画の構造がようやく理解できて、男性の方の誕生日である同じ7月26日という日を一年ずつさかのぼっていく話なんです。バラバラだった二人は、その1年前の7月26日に別れた恋人同士だったんです。その1年前の7月26日は、二人はまだラブラブで、その一年前の同じ日に、それまで友達だったのがようやく付き合い始めた日であもある。その一年前に二人が初めて出会っている。寅さんとは逆で、最初印象の悪かった二人が、だんだん、こんなにお似合いの二人はいないだろう、という思いになっていく。でも映画の最後は、未来の話になっていて、女性の方が、他の人と結婚して、子どもも生まれている。女性がショートケーキ買って、旦那さんに、なんでケーキ買ったのって聞かれて、なんか急に食べたくなったって答えているんだけど、それが7月26日なんです。で、映画のタイトル、「ちょっと思い出しただけ」。人間って、誰が悪いわけではなくても、うまくいかないことがあります。恋愛だけでなく、子育てしてても、仕事をしてても、皆精一杯やっていても、手が足りなことがある。ぎくしゃくすることがある。うまくいかないことがある。でも最後悪い形で終わっても、決してそれが丸ごと悪い思い出であるとは言えないよねって、思わせてくれる映画でした。
 今日は復活節第二主日で、イースターの一週間後に必ず読まれる福音書の箇所です。弟子たちの前に、復活の主が現れる場面です。弟子たちは、一つの部屋にいる。鍵を閉めていたと言います。ユダヤ人を恐れたと言います。それもあると思いますが、心を閉ざし、引きこもっているようにも見えます。私たちも、辛い時、ショックな出来事があった時、心を閉ざし、引きこもることがあります。こんなことをしていても、どうにもならないと思っても、自分でどうしたらよいか分からなくなる時があります。この鍵を閉ざした部屋の中にイエスさまが現れます。そして弟子たちに言う、「あなたがたに平和があるように」これはユダヤ人の挨拶の言葉でもあります。シャローム。でも、イエスさまは「あなたがたに平和があるように、平安あれ、と三度語り掛けています。弟子たちが本当に求めていたのは、心の平安かもしれません。弟子たちは喜んだ、と書かれています。そして、イエスさまは弟子たちに息を吹きかけ、聖霊を送り、使命を与えます。その使命とは、罪を赦すことです。神の使いとして、罪を赦すことです。皆さんは、自分を赦せているでしょうか。自分を受け入れられているでしょうか。子どもの頃、10代の頃、夢見た自分とはだいぶ違う気がします。失敗をしたこともあります。弱さもある。一見強そうに見える人でも、強がったり、怒ったりしたのも、実は弱さから出ていることがあります。福音書の続きで、トマスの話が出てきます。トマスは、他の弟子たちから、復活の主に出会ったことを聞かされます。恐らく、喜びに満ちた顔で言われたと思います。しかし、トマスは信じないと言い張ります。釘跡に指を入れるまで信じないと言います。よく考えるとひどいことです。傷口にもう一度指を入れるなら、それはもう一度イエスさまに釘を刺す行為です。でも、トマスは疑り深く、信じていなかったわけではないでしょう。共に過ごしてきた兄弟弟子が、あの喜びに満ちて語った話が、嘘ではないだろうと腹の底では気づいていたと思います。トマスの本当の気持ちは、自分も一緒に出会いたかった。自分もイエスさまに会いたかった。でも表現としては、私は信じない、そう言ってしまう。
 そこで8日後、私たちの数え方でいえば一週間後です。最初の復活の一週間後、イースターの一週間後です。弟子たちは、同じ部屋に集合しています。今回はトマスもいます。同じように部屋に鍵もかけてあります。そこにイエスさまが、トマスの前にも現れてくれます。トマスにも出会ってくれます。トマスは、傷跡に指を入れたりはしません。「わたしの主、私の神よ」イエスさまにそう言っています。これは日曜日、最初の礼拝です。
 礼拝はイエスさまと会う場所です。礼拝は懺悔と赦しから始まります。イエスさまは弟子たちの弱さ、あなたの弱さも赦されます。一生懸命やっても人生の中ではうまくいかないこともあります。悪い時期もある。自分でも嫌な自分がいるかもしれません。でも、イエスさまは弟子たちを赦し再会してくれます。イエスさまは、あなたと会い、あなたを赦すと語りかけます。
 弟子たちには使命が与えられています。その使命は、人の罪を赦すことです。神さまがあなたを赦されていることを伝えることです。平和を祈ってあげることです。平安を祈ってあげることです。イエスさまを信じ、イエスさまの命を受けて、新しい一週間を始めましょう。