No.105

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年5月15日 復活節第5主日

ヨハネ福音書13章31~35節 「 かっこ悪い役割 」 吉田 達臣

13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

 今日の聖書の箇所、短い箇所ではありますが、疑問に感じることがいくつかあります。ヨハネによる福音書は、13章から最後の晩餐、十字架の前夜になります。イエスさまは、弟子たちに言い残すように、新しい掟を与えると言います。その新しい掟とは、互いに愛し合うこと、私があなたがたを愛したように、互いに愛し合うことです。内容は納得できます。しかし、これをことさらに、新しい掟と表現するのは、どうなのだろうと思います。ずっと前から、言われていることです。なぜ新しい掟と表現したのだろうと思います。
 もう一つは、ユダが出ていった後と書かれていますが、ユダが出ていったのは、イエスさまを裏切り、イエスさまを売りに行くためです。その場面で、イエスさまは、栄光を受けた、神も人の子も栄光を受けたと語り始めていきます。裏切られ、十字架に架けられようとしている中で、最後の果たすべきことをする、というのであればまだ分かりますが、栄光、栄光と言われると、少しギャップを感じます。
 十字架というのは、今では神聖視されていますが、もともとはさらし首に近い、さらし者にする死刑です。屈辱的な出来事です。英雄として死ぬのであれば、死ぬことで栄光を受ける、と表現されるのは少し分かります。しかし、イエスさまは、弟子に裏切られ、鞭打たれ、十字架を担いで町中を歩き、自分では担え切れず途中で手伝ってもらい、十字架に架けられ、我が神どうして私をお見捨てになったのですか、と叫んで死んでいきました。栄光とは、程遠い、最も格好の悪い死に方です。
 今日の日課は超えますが、この続きは、ペトロの裏切りの予告の場面です。ペトロは、あなたのためなら命を捨てる、といいます。しかし、イエスさまは、明日の朝までに三度裏切ると予告します。そして、ペトロは実際に裏切っていきます。もしかしたら、イエスさまが英雄のように死んでいったならば、ペトロも本当にともに命を捨てていたかもしれない、と思います。十字架は、かっこ悪い死に方なんです。
 実は、イエスさまの本当にすごいところは、人を救うために、人知れず、必要とあらば格好悪く死ねるということ。純粋に混じりっけない愛で、人のことを思い、人を救うためなら、自らは格好悪い役割を担えるということ、イエスさまのすごいところは、そこにある。本当の羊飼いは、羊を守るために命を懸けるとイエスさまは教えます。友のために命を捨てる、これ以上の愛はないと言います。愛するあなたのためならば、どんな格好悪いことでもできる、それが実は本当に格好良いことなのかもしれません。あなたを救うためなら、栄光を喜んで捨てられること、そこにこそ本当の栄光がある。栄光を受けよう受けようとする人は、栄光を失い、神さまのため、人のために栄光を捨てられた人は、かえって栄光を受けます。
 私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい、この教え、この掟の新しさは、イエスさまの愛が、私たちの思いを越えた愛だから、新しい掟なのではないでしょうか。
 イエスさまは最後の晩餐の初めに、弟子たちの足を洗い始めました。ある本には、これは奴隷の仕事と書かれていましたが、違う本では、奴隷でもしない仕事だとも書かれていました。決して見栄えの良い姿ではありません。しかし、感動的な姿です。断るペトロに対し、イエスさまは、足を洗わなければ、あなたと私は何のかかわりあいもないことになると言います。イエスさまと弟子たち、そして、イエスさまと私たちの関係は、イエスさまが、私たちの足を洗ってくれる、という関係です。イエスさまは、弟子たちの足を洗った後、私もあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗いなさい、と教えています。
 イエスさまが、私たちにそうしてくださったように、足を洗い合いましょう。イエスさまが赦してくださったように赦し合いましょう。イエスさまが愛してくださったように、互いに愛し合いましょう。愛ゆえに、格好悪い役割も担い合っていきましょう。そこには、神さまからの栄光が与えられます。