No.106

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年5月22日 復活節第6主日

ヨハネ福音書5章1~9節 「 良くなりたいか 」 吉田 達臣

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。2 エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。5 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7 病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」8 イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。」

 今日の福音書の箇所、ベトザタの池の話です。この池は、風もないのに、急に湖が波打ちだすときがあったそうです。それは天使が触れたと信じられていて、水が動いた時、最初に水に触れた人は病気が癒されると言われていたそうです。ですからこの池には、病気の人や、足の不自由な人などが集まっていたそうです。イエスさまが、このベトザタの池を訪れる。そこに、38年間病気で苦しんでいる人がいます。聞けば、水が動く時誰も手伝ってくれないし、皆が追い抜いていくと言います。その人にイエスさまは尋ねます「良くなりたいか」。愚問のような気がします。良くなりたいから、この池のほとりにいるんです。でも、あながち愚問とは言い切れない、ということも私たちは知っています。38年間も癒されぬままにいたならば、心の中では半ばあきらめている、そんな気持ちになります。私たちの中にもあるかもしれません。祈り続けてはいる。願い続けてはいる。でも、恐らく無理なんだろうなあ、と思いながら、一応望みは捨ててない。この人も38年前、ベトザタの池に来たころは、大きな希望を持っていたと思います。これで病気が癒されるかもしれないと。でも、2年経ち、3年経ち5年、10年と過ぎていくうちに、半ばあきらめている。他に希望があるわけでもないので、半ば惰性でここに居続けている、そんな状況だったかもしれません。
 そこにイエスさまが現れて、この人に尋ねる「良くなりたいか」。そんな風に尋ねられたのは、数十年ぶりかもしれません。もちろん良くなりたい。でも、いまさら、良くなりたいと、本気で思ってもいいんでしょうか。ここからまた、希望を持っていいんでしょうか、そんな思いを抱いたかもしれません。サッカーのキングカズとか、もう引退しましたけど、ゴン中山とか、かなり高齢で現役を続けていた選手の晩年のインタビューを見ていたら「もっとサッカーが上手くなりたい」っていまだに思っているんです、って語っていました。
 変な表現ですが、祈りに慣れてくるということがある。わたしで言えば、より良い説教を作りたい、いまだにそう思ってはいますが、そう祈ることに悪い意味で慣れてしまっている。イエスさまは、今日私たちに改めて尋ねます。「良くなりたいか」。38年とは言わずとも、長年願っていることがあるでしょう。半ばあきらめながら祈っていることがあるでしょう。イエスさまは尋ねます。改めて、良くなりたいか。諦めていいのか。本当に、本気で、良くなりたいか、そう尋ねます。そして、イエスさまはもう答えを知っていてくれます。だからイエスさまは言ってくれます。

 「起きなさい。床を担いで歩き出しなさい。」

 イエスさまは、消えかけた希望にもう一度火を着けてくれる。今更良くなろうとしていいんです。ここからまた、希望を持っていいんです。仕切り直して、もう一度ここから、良くなっていきなさい。良くなろうとして生きなさい。さあ、ここから歩き出しなさい。そう語りかけます。
この箇所がなぜ復活節の日課なのかと思う方もいるかもしれません。この「起きなさい」という言葉はギリシャ語で「復活する」という単語でもあります。「復活しなさい、床を担いで歩き出しなさい。」そうも語っています。
そして人が、心密かに、でももしかしたら、半ば諦めながら願っていること、祈っていることがある。それは、自分が死んだ後に、消滅してしまわないことです。もう一度生きられるということ。できれば次の時は、もう死なずに永遠の神の国へ行けること。その希望にも、神さまは火を灯してくださいます。というか、神さまにしか、その希望を灯すことはできません。
改めて、神さま、もっと良くなりたいです。またここから歩き出したいです。復活したいです。そう祈って、新しい一週間を始めましょう。