No.108

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年6月5日 聖霊降臨祭

ヨハネ福音書14章8~17節 「 欠けたものとして 」 吉田 達臣

14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
 15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

 自動で掃除をしてくれる、ロボット掃除機のルンバってありますけど、私の家にはないんですけど、持っている人に聞くと、かわいく思えるときがあるそうです。テレビで言っていたんですけど、どういうときにかわいいと思えてくるかというと、ミスしたり、同じところぐるぐる回ったりして、欠点が見えるときだと言います。少し分かる気がします。機械もそうですし、人もそうだと思います、欠点がないと愛されない。
 今日は聖霊降臨祭、ペンテコステですが、第一日課は、バベルの塔の話でした。ペンテコステでは、聖霊が降り、教会の歩みの第一歩が始まる。その時、この福音が全世界へ広がっていくことを予感させるように、いろんな国の言葉で、弟子たちが語り始めたことが書かれています。バベルの塔では、神さまからの罰として、言語がバラバラにされたと言います。何に対する罰かと言えば、天まで届く塔を作り始めたからだと言います。それが御心にかなわなかった。技術が発展して、有名になろうとして、自分たちを誇ろうとして、高い塔をたてようとしました。自分たちのすごさを誇ろうとするときに、人は敵対し、対立していきます。それは、今でもみられることです。自分たちはすごい、自分たちの方がもっとすごい、そう競い合うようにして争いが生まれてくる。国や民族ばかりではありません。自分のすごさを誇ろうとするとき、人と人は対立してバラバラになっていきます。自分たちはすごい、自分はすごいと思い始めていくと、人は愛から遠ざかっていくようです。
 しかし、聖霊降臨の出来事、イエスさまの福音は、バラバラであったものをもう一度一つにしてくれる力があります。エフェソの2章の後半に、キリストは私たちの平和であると書かれています。二つのものを一つにし、敵意という隔ての壁を取り壊すと書かれています。それはキリストの血においてなされたと言います。
 今日の第二日課は、聖霊降臨の出来事ですが、今日の日課の先に、ペトロの説教が続いています。ペトロが語ったことは、ユダヤ人に向かって、あなたがたが十字架につけて殺してしまったイエスを神さまはメシア、救い主とした、という話です。それを聞いて心を打たれ、多くの人が洗礼を受けたと書かれています。キリスト者には、一つの共通点があります。それは、自分が罪人であることを認めていることです。欠けのあるものであることを認めていることです。しばしば忘れてしまいますが、忘れる自分を自覚し、私たちは礼拝に通い、懺悔から、礼拝を始めていきます。時々思う、なぜ私には、このような欠けがあるのだろうと。神さまが、もっと完璧に作ってくれればよかったのに、そう思うことがあります。
 でも、人が人を愛したり、人に愛されたりするのは、欠けがあるからです。欠けがあるからこそ愛される。あなたが完ぺきな人ならば、あなたは愛されません。あなたが完ぺきで、他の人よりもはるかに優れているとき、あなたは自分を誇ろうとはしても、人を愛そうとはしません。自分に欠けのある人こそ、互いに助け合おう、互いに補い合おう、互いにゆるし合おう、そういう思いが与えられていきます。。福音書の中で、イエスさまは言います。

 15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

 私の掟とは、私があなたがたを愛したように、互いに愛し合うことです。そして、イエスさまは父にお願いして、別の弁護者を送ってもらい、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださると言います。別の弁護者とは、聖霊のことです。弁護者と訳されていますが、他の訳では、慰め主とか助け主とも訳されています。聖霊の働きは、欠けのあるあなたを弁護することであり、慰めることであり、助けることです。別の弁護者というのですから、イエスさまも、この弁護者、慰め主、助け主です。そういうものをあなたがたと永遠に一緒にいてくれるようにイエスさまが願うと言います。あなたは欠けたものだから神さまに愛され、欠けたものだから救い主を送ってもらい、欠けたものだから聖霊を送ってもらい、欠けたものだから、人に愛され、欠けたものだから人を愛することができるのです。
 欠けがあることを誇る必要はありませんが、欠けがあるからこそ与えられた喜びがあります。欠けたものとして、愛し愛されていきましょう。