No.112

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年7月3日 聖霊降臨後第4主日

ルカ福音書10章1~12 16~20節 「 神さまに用いられる 」 吉田達臣

10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
 17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 今日の箇所は、イエスさまが、これから行くつもりのすべての町や村に、あらかじめ弟子たちを派遣する話です。それは、オオカミの群れに子羊を送り込むようなものだと言います。危険もあり、苦労もあるでしょう。しかも、財布や履物も持っていくなと言います。行った先で泊めてもらい、食事を出してもらいなさいと言います。することは、その家の平和を祈ることです。そして病気の人の世話をすること。もう一つは、神の国はあなたがたに近づいた、と告げることです。ここがとても印象的ですが、その町でだれにも受け入れられなかったら、足の埃を払い落として「しかし、神の国が近づいたことを知れ」と言い残すように教えています。つづけて、かの日にはその町は、ソドムの方が軽い罰で済む、と語られています。神の国が近づいたというのは、神の支配が近づいたという意味であり、神の国にふさわしくないものは、裁かれる、という意味でもあります。
 先日教団常議員会が開かれました。もう少しで議事録が届くと思います。その中で、ウクライナ避難民のための支援献金に関する報告が出されました。普段の災害支援では、目標額50万円と掲げられますが、今回の場合は目標額を設定しませんでした。結論から言えば、普段の3倍に近い150万近くの献金が集まりました。それだけ多くの教会員が関心を持っており、そしてこの出来事に胸を痛めているのだと思います。ウクライナ侵攻の報を受けて、人類はまだこんなことを繰り返すのか、という思いを持ちました。しかし、よく考えてみると、ほんの80年から100年前は、強い国が小さい国を自分の思いのままにすることが当たり前でした。むしろ強国は、他の強国に後れを取らぬよう、先を争うようにしていました。しかし、今回のウクライナ侵攻で、今では大国が力づくで、自分の思い通りにしようとすることに、多くの国、多くの人が一斉に注目して、一斉に批判するようになりました。世界の流れは大きく変わっていると感じられました。国と国だけではありません。人と人との間でも、力のある人が不利な立場にあるものに、強引に振舞うことは以前はよく見かけました。もちろん、今でもあります。でも、それはハラスメントとして告発されるようになってきました。それもここ最近、大きく変化しています。
 人が望んでも望んでいなくても、人が信じていても信じていなくても、神の国は確実に来ると聖書は教えています。だから、神の前に正しくないことは、すぐに悔い改めなければなりません。神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい、これがイエスさまの宣教の第一声だったと聖書は教えます。
 ちなみにルターの宗教改革の第一声、95箇条の提題の第一提題は、イエスさまが求めていることは、キリスト者の全生涯が悔い改めである、ということです。私たちは、救い主の愛と赦しの中で、悔い改めの生涯を送ります。救い主を知るものにとって、神さまの愛を信じる者にとって、神の国が近づいた、これは紛れもなく福音、良い知らせです。私たちが望んでいてもいなくても、私たちが信じていてもいなくても、神の国は確実に近づいてきます。イエスさまは、天から稲妻のようにサタンが落ちるのを見たと言います。
 これからもいくつもの痛みを通り抜けてではありますが、世界は良くなっていきます。神の国は近づいています。それが聖書の知らせです。
 キリスト者とは、確実に神の国が近づいてきている、先にそこのことを知り、そのことを信じるものです。一時的に強引に思い通りにしようとしても、それは決して人の思い通りにはなりません。人の目をごまかせたとしても、神さまのみ心にかなわないことは、やがて裁かれていきます。
 何も持たされずに派遣された弟子たちは不安もあったと思いますが、心強かったことが一つあったと思います。弟子たちが派遣されたのは、イエスさまがこれから行くつもりの場所に前もって行かされたと言います。自分たちが行くところは、その後に必ずイエスさまが訪れてくれる場所です。あとから必ずイエス様ご自身が来てくれる。
 私たちもイエスさまの弟子です。神さまの働き手です。私たちは、罪人でありながらも、神さまの僕として天に名前が記されているものです。この一週間も平和を祈り続けましょう。病を持つ人や小さなものを助けましょう。人が受け入れても受け入れなくても、神の国は確実に近づいている。共に悔い改めていきましょうと、この世界に向かって語り掛けていきたいと思います。