No.123

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年9月18日 聖霊降臨後第15主日礼拝

聖書箇所  アモス8章4から7節   第一テモテ2章1から7節

ルカ福音書16章1~13節 「 天に友を作る 」 山本 厚子

 人生には色々な節目がありますが、年金生活を始めるということもその一つだと思います。仕事を辞めて、健康寿命も伸びている今、いかにして老後を自分らしく、最期まで自分の身の丈にあった人生を送ろうかと考えます。年金、貯蓄、人脈、今までの経験などに心がいき、人生の備えをしていくのだと思います。と同時に、私たちキリスト者としてどのように人生を過ごしていくのかと問われている者でもあると思います。人間のエゴにより、快適と便利さを求めれば求めるほど自然が破壊され、気候の変動が激しくなっていきます。世の中のお金の動きも怪しくなり、搾取される人と搾取する人が分かれ、ますますと生きずらくなっている中で、神さまと共に生きるということ考えさせられます。  今日の聖書日課の小見出しにあります「不正な管理人」のお話は、突然、解雇を求められ、会計報告するよう「ある金持ち」つまり主人から言われた管理人のお話です。主人のお金を不正に使い込み、ばれて解雇となったからです。当然、その管理人は自分の将来が心配になりました。決まった収入が無くなることは誰にとっても不安なことです。色々と考えた末に、ある考えが頭に浮かびました。主人に借金している人たちの負債額を減らした新しい証文を作らせよう、と思いついたわけです。油百バトスの負債者には半分の50バトスに書き換えました。油というのはオリーブオイルのことで百バトスは現代に換算すると約500万円くらいだと言われています。同じように小麦100コロスを80コロスに書き代えました。負債者も少しでも借金が減る訳ですから多いに助かります。こうして管理人は、その人たちに自分が失業しても、仕事を紹介してくれるかもしれない。自分を家に迎えてもらえるに違いないと考えたのです。 そして、主人はこの管理人の抜け目のないやり方を誉めたと8節では記されています。この世の子らはこの世で生きるために、自分が物乞いにならないように、賢く考えて抜いて、困った時に助けてくれる仲間を作ったことをイエス様は弟子たちに話しました。続けて、光の子である弟子たちに向かって、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と言われるのです。聖書で言われる不正な富とはこの世の富を意味します。そして、光の子とされた私たちにも語ってくるのです。「この世の富で友達をつくりなさい」と。  不正な管理人と私たちの違いは何でしょうか?自分の為にこの世でお金に不自由なく暮らすために富を活用するなら、私たちもこの管理人と同じです。私たちは罪許され、自由と解放を与えられ、永遠の命を与えられていることを信じる者です。信じると言いながら、自分の醜さ、罪を知らされ、悩む者であります。それでも、イエス様が望まれることは、この地上で神様の愛を伝え、永遠の命が与えられるように友を作りなさい、ということだと思います。イエス様は、「天において、天で会いまみえるかもしれない友をこの地上で作りなさい」と。その為に、この世の富を活用するように賢くなりなさい、と語っているのだと思います。  人生の良しあしがこの世で決まるとしら、この世の最期がゴールになるでしょう。そして最期まで安楽にあれもしたいこれもしたいと思い、そのためにお金と健康が第一になるものです。さらには時間も能力も自分のために活用することでもあります。しかし、私たちの肉体を持った有限の命はいつ失うか、神さま以外は誰も分かりません。思いがけず病が与えらえると、死というもの、命というものが身近になり、そしていかに生きるかと考える時が与えられます。私たちキリスト者にとって、私たちの最終ゴールはこの世の人生が終わりではなく、死を超えた天にあります、私たちの心の目は永遠の住まいに向けていなければなりません。そこから今、与えられた自分の生というものを考え直すということだと思います。イエス様は「この世の富を生かし、友を作り、仲間作りをしなさい」と語るのは、友とつながりを持ち、友を永遠の命へとつなげる者となりなさい、と私たちに投げかけています。   この世と富と天との関係というと、マザーテレサを思い出します。皆さんもご存知かもしれませんが、ザーテレサと宝くじのエピソードです。マザーテレサは、ハンセン病患者のための「平和の村」を建設するために資金集めが必要でした。その当時のローマ教皇パウロ6世がマザーテレサにリンカーン・コンチネンタルを寄贈したいと申し出ました。いつも小さなバック一つで、公共の乗り物であちこちと世界を旅するマザーにとっては、そのような高級車は無用の長物でした。マザーテレサはそれを宝くじの景品にして宝くじを発行したのです。ローマ法王の乗った車に乗りたいと大勢の人が宝くじを買い、その当時の1960年代にして1500万円集まったということです。マザーテレサがそのような資金集めにたけていたかどうか分かりませんが、毎日、神さまに願い祈り続けた結果、そのアイデアが浮かんだと話したそうです。マザーテレサこそ、この世の富を賢く活用し、国籍や宗教を超えて、愛に飢えている多くの人々を助け、永遠の住まいへ見送った愛の人であり祈りの人であったと知らされます。マザーテレサの生きるという根底には自分のためにではなく、神さまのために自分を差し出して、生かされることにあったからです。     今日の福音書の箇所は弟子たちに語られています。弟子たちはすべてを捨てて、つまり仕事も家族も財産も捨てて、イエスさまにつき従ってきた人たちです。ある意味ではこの世の富とは縁が薄いわけです。弟子たちはこの譬え話を聞いて、自分と関係ないと思ったかもしれません。ですけれども、たとえ、この世の富には縁がなくても、心は自分のことで一杯でした。弟子たちの中で誰が一番偉いのか? 誰がイエス様が天に行かれた時にイエス様の右に座るのか?そして、イエス様が逮捕された時にペテロはイエスさまを裏切るのです。「わたしはあの人を知らない」と三度も拒否して、イエス様を捨てて逃げたペテロでした。自分が一番大事であり、常に認められたい。自分に常にこだわる弟子たちです。   富が有る無しの問題ではなく、自分自身の心の在り方に問題があるのです。私たちも同じではないでしょうか。自分というものに囚われて、神さまより自分が第一となって生きているものです。それが罪だとイエス様が言われるのです。そのために、イエス様は十字架と復活により、私たちを罪の縄目から解き放ってくださった。そして、ヨハネによる福音書15章15節にありますように、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」。イエス様はご自身の命と血を捧げて、私たちの「まことの命の友」となってくださった。私たちからではなく、イエス様の方から、私たちを選び、先立って友となってくださったのです。私たちがこの世の富を持っているからではなく、私たちの行いが良いからではなく、ただイエス様の恵みにより友となり、これからもずっーと友となっくださると約束してくださった。私たちを見捨てることもなく裏切ることもない一番の友はイエス様です。ありのままの自分のすべてをご存知の永遠の友であるイエス様が「わたしに従いなさい」と言われるのです。  この世の富でこの世を生き抜くのではなく、自分に与えられたこの世の富も、富と思われない出来事もすべて神様からの贈り物であると知らされた時、心が身軽になり、自分にこだわらない自由な姿となるのだと思います。こだわらない心で、私たちの家族であれ、職場で関わる人達であれ、身近な人であれ、友のために永遠の命への架け橋となっていきたいと思います。