No.131

個人で礼拝を守るにあたって

〇 黙想をし、心を鎮め、聞く思いを整えて始めましょう
〇 ざんげをし、憐れみと愛を慕いもとめる思いを持ってみ言葉を聞きましょう。
〇 この原稿にも聖書本文が記されていますが、できれば自分の聖書を開き、必要な時に前後の聖書の流れを見られるようにしておきましょう。

2022年11月13日 聖霊降臨後第23主日

ルカ福音書21章5~19節 「 信じ続け 愛し続ける 」 吉田 達臣

21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」 7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 9 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

 神学校で、説教学の授業で言われたことで、確かにそうだな、と思ったことの一つは、先週の説教を引用してはいけない、という助言です。会衆は、わりと覚えていないからです。神学生ではありましたが、一人の信徒であった身として、よく分かると思いました。
 しかし、今日は振り返ってみたい。しかも先週だけではなく、3週くらい前から。ですから、覚えてなくても全然かまいません。
 3週前の箇所は、ファリサイ派の人が心の中で、私は律法を守り、あの徴税人のようなものではないことに感謝するというファリサイ派と憐れんでください、と祈ることしかできなかった徴税人の話でした。パウロはもともとこのファリサイ派のような人でしたが、イエスさまに出会い、今まで自分が誇りにしていたものを塵芥のように感じ、自分は望んでいることを行わず、かえって憎んでいることをしている、私はなんとみじめな人間でしょうと語るものへ変えられていく。パウロを変えたものは、自分を十字架に架ける者の赦しを祈る、十字架のイエスさまであり、石打するものの赦しを願うステファノの姿ではなかったか、という話でした。2週は目は、また徴税人の話ですが、徴税人ザアカイの話でした。ザアカイはお金持ちだったが、満たされなさを抱えており、イエスさまを求めた。イエスさまはザアカイに近づいてくださり、救いを与えてくれた話です。先週の話は、貧しいものは幸いであり、富んでいるものは不幸である、という話です。富んでいれば、もう神さまに愛されないということではありません。ザアカイをイエスさまは、憐れんでくださった。富んでいる人の問題は、もう慰められているからだと言います。かりそめの慰めで、自分には足りないものはないと思ってしまう。でも、ザアカイにはやはり満たされないものがありました。それは愛であり、憐れみです。キリスト者は、イエスさまの愛を受けながら、この世界の愛を大きくしていくものとして召されている。相手が親切な人であっても、そうでなくても、あなたの方が親切であり続けようとしなさい。相手の態度がよくても悪くても、あなたの方は、その人を愛そうとしなさい。そんな話でした。
 今日の箇所では、小見出しに終末の徴、と書かれています。話の発端は、ある人たちが神殿の見事な建物に見惚れている。ソロモンが建て、バビロン捕囚の時に壊されてしまいますが、バビロン捕囚後に再建され始め、ヘロデの時代に完成したと言われています。再建されたばかりの神殿の崩壊をイエスさまは予告します。それを聞いた人は、それは世の終わりが訪れる時だと思い、いつ起こるのか、どんな徴があるのか、と問うています。
 イエスさまの答えは、世の終わりはすぐには来ない、ということです。戦争が起こる、暴動がおこる、疫病が起こる、天には著しい徴が現れる、と言います。今ききますと、ウクライナで戦争があり、コロナが流行り、最近皆既月食もありました。イエスさまが言うのは、そういうことは起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないということです。イエスさまが私たちにしなさい、と言っていることは、惑わされないこと、忍耐することです。いつ起こるのか、どんな徴があるのか、それを聞いた人は、試験前に慌てて勉強するように、対策をしなければならない、と考えたのかもしれません。しかし、イエスさまは、私が救い主だというようなものもあらわれるが、惑わされてはいけないということです。迫害も受けるかもしれない。でも、その時は証しする機会になる。でもそのために、あらかじめ準備はするなと言います。必要な言葉は与えられると言います。
 実際に、この神殿は、イエスさまが死んで約40年後、西暦70年に崩壊します。そして、国土としてのユダヤの国はなくなります。ユダヤ人にとって間違いなく、青天の霹靂です。ユダヤ人から始まったキリスト教にとってもです。でも、世の終わりではありません。ただ、余りにも大きな大きな時代の変わり目です。
 神殿の崩壊はずっと前の話です。世の終わりはきっとだいぶ先でしょう。でも、人生の節目、変わり目は何度か訪れます。それはしんどいことです。今までのままではいられないということだからです。個人ばかりではなく、時代の節目に出くわすこともあります。今がそうかもしれません。私たちの為すべきことは、平時でも、変わり目でも変わりません。人を愛そうとすることです。敵を愛し、迫害するもののために祝福を祈ることです。惑わされず、耐え忍びながら、神さまに愛されながら、人を愛そうとすることです。それ以外、何の準備も必要ないと言います。最後のところで、

16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。

と書いてありながら、

8 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

と書かれています。矛盾しているようにも思われます。その意味の一つは、愛はすぐには理解されなくても、必ず残っていく、ということです。それを体現されているのが、イエスさまです。だから、耐え忍びながら人を愛し続けなさい、と教えます。そしてもう一つの意味は、あなたには永遠の命がもうすでに備えられているということです。イエスさまだけを信じ続けて惑わされず、与えられている約束を信じて耐え忍びながら、人を愛し続けて、本当の命を得ていきましょう。