2024日 復活節第6主日

          ヨハネ福音書15章9~17節 「 互いに愛し合いなさい 」 

9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

  今週は、説教を作るのに、ずいぶんと苦労をしました。早めに作って、ゴールデンウィークを少しでも味わおうと思っていましたが、それはかないませんでした。どうしてできないのかもよく分かりませんでした。そんな中で、こんな文章に出会いました。若松英輔という人が書いた文章で、越知保夫さんという文芸批評家に関する本で、こんな文がありました。 

「神」の秘密である「神秘」が、どうして神以外の人造的なドグマによって解き明かされるはずがあろうか、と彼は問う。越知にとって、狭義の「哲学者」は、信じることを見失ったさまよう人間に映った。

  神秘は神さまの秘密ですから、人間が解き明かせるものではなく、信じるものだといいます。時に聖書は、解き明かすのではなく、そのまま聞かなければいけない個所があります。今日の箇所は、そのような箇所なのだと思いました。
 イエスさまは言います。互いに愛し合いなさい、と。互いに愛し合うことが、神さまの愛にとどまっていることにもなるといいます。この掟を守るとき、私たちはイエスさまの僕ではなく、イエスさまの友になるといいます。これはイエスさまの最後の掟といわれ、最後の箇所でも繰り返され、これは私の命令である、といいます。
 互いに愛し合うことが、悪い掟だと考える人はほとんどいないでしょう。イエスさまではなくても、だれでも言えることでもあります。しかし、同じ言葉でも、だれが語ったかで、印象も、意味も変わってきます。ここはやはり、イエスさまが語った言葉です。それも遺言として語られた言葉です。

聖書全体が証ししているように、愛はきれいごとではありません。時には報われず、時には裏切られることもあります。イエスさまの愛には、罪の赦しが含まれています。報われなくても、裏切られても、赦し続けて、互いに愛し合いなさい。これは掟であり、命令だといいます。裏切られ、十字架にかけられていく、イエスさまが語った言葉です。
 加えてイエスさまは言います。あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだのだと。なぜ、私が、と思います。ここから逃げることも可能だと思います。しかし、互いに愛し合いなさい、という掟は、きっとあなたを追いかけていきます。イエスさまが選んで、もうその愛を授けられているからです。
 若松さんのこの本の中で、ピエタが取り上げられています。ピエタとは、ミケランジェロの彫刻で、十字架から降ろされたイエスさまの死体を、母マリアが抱きかかえている姿です。ピエタとは、敬虔、敬虔なクリスチャンという時の敬虔という意味ですが、こんな文が書かれています。

 越知は敬虔に触れ、こんな言葉を残しています。

 それは我々の中にあって、我々自身にすら手を触れることができない部分であり、一切の論議を越えたものである。しかも、我々の思想も感情もすべてこの我々の中にあって我々自身を越えたある神秘によってはじめて意義を持つものである。それをマルセルは敬虔ピエタと呼んでいる。

  敬虔、信仰、愛も神さまに与えられたものだといいます。その発露は神さまに引き出されるものだといいます。マリアに抱えられている無力なイエスさまの遺体を見ていると、何とも切ない気持ちにさせられます。自分の中にある小さな、憐みの心が引き出される思いになります。これはイエスさまの霊が継承され、マリアや私たちに、愛の心が引きだれることだといいます。その姿を見る中で、イエスさまの憐み深さをわずかでも引き継ごうと、自発的な思いが与えられる人がいます。
 互いに愛し合いなさい、イエスさまがこれを命じたのは、

 わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである。

  といいます。愛することは、苦労もあり、時に報われず、裏切りにも会います。しかし、それ以上の喜びがあるからだと、イエス様自身が語っています。
 互いに愛し合いなさい、この命令を信じて従っていきましょう。


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