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2024年5月5日 復活節第6主日 |
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| ヨハネ福音書15章9~17節 「 互いに愛し合いなさい 」 | |
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9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」 |
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| 今週は、説教を作るのに、ずいぶんと苦労をしました。早めに作って、ゴールデンウィークを少しでも味わおうと思っていましたが、それはかないませんでした。どうしてできないのかもよく分かりませんでした。そんな中で、こんな文章に出会いました。若松英輔という人が書いた文章で、越知保夫さんという文芸批評家に関する本で、こんな文がありました。 「神」の秘密である「神秘」が、どうして神以外の人造的なドグマによって解き明かされるはずがあろうか、と彼は問う。越知にとって、狭義の「哲学者」は、信じることを見失ったさまよう人間に映った。
聖書全体が証ししているように、愛はきれいごとではありません。時には報われず、時には裏切られることもあります。イエスさまの愛には、罪の赦しが含まれています。報われなくても、裏切られても、赦し続けて、互いに愛し合いなさい。これは掟であり、命令だといいます。裏切られ、十字架にかけられていく、イエスさまが語った言葉です。 越知は敬虔に触れ、こんな言葉を残しています。 それは我々の中にあって、我々自身にすら手を触れることができない部分であり、一切の論議を越えたものである。しかも、我々の思想も感情もすべてこの我々の中にあって我々自身を越えたある神秘によってはじめて意義を持つものである。それをマルセルは敬虔ピエタと呼んでいる。
わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである。
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