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2024年10月13日 聖霊降臨後第21主日 |
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| マルコ福音書10章17~31節 「 全面的に頼る 」 | |
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10:17 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 10:19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
10:20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 10:21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
10:22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 |
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| 今日の聖書の箇所にはあるお金持ちが出てきます。他の福音書の並行箇所を見ると、青年と書かれていたり、議員でもあったと書かれています。若くして、お金持ちで、地位もあった人のようです。その人がイエスさまに尋ねる「永遠の命を受け継ぐにはどうすればよいか」と。イエスさまは十戒をはじめとする律法を守るように、そう告げますが、それも子どもの頃からずっと守ってきたといいます。それに対し、イエスさまは、あなたには足りないものが一つあるといいます。その財産を売り払い、貧しい人に施せといいます。富めるこの青年は、それができず、がっかりしたといいます。イエスさまは言う、お金持ちが神の国に入るのは難しいと。じゃあ、この青年が、本当に財産を売り払い、貧しい人に施せば、それで完璧かというと、おそらくそうではないでしょう。
わたしたちの教会の基となっているルターという人は、もともと修道士でした。財産を放棄し、神さまのために生きようとした人です。そして、自他ともに認める、熱心な修道士でした。しかし、そのころのルターの心には、平安はなかったといいます。ルター曰く、自分だけじゃなかった。どんな熱心な修道士も、自分のように不安を抱え、平安を持っていなかったといいます。そのころのルターは、この富める青年と同じダメさを抱えていたように思えます。律法はできる限り守り、罪を犯してもしつこいくらいに懺悔し、おまけに全財産も放棄した修道士でした。この青年も、できる限りのことをした、でも永遠の命が受け継げるような思いになれなかった。富める青年も修道士ルターにも欠けているものがあった。全財産を放棄しても、なお欠けるものがあった。それは何なのだろうと思います。 私自身、人に頼ることが下手な人間です。周りの人が見かねて、助けてくれ、もっと早く言ってくれればよいのに、時々そういわれます。皆さんにも似たようなところがあるように思えます。うまく人に頼れるでしょうか。日本人は下手です。時々言われます。人に迷惑さえかけなければよいと。でも、人は必ず人に迷惑をかけるものです。むしろ、きちんと頼りなさい、そう声を掛け合った方が良い気がします。もしかしたら年を取るという経験は、その訓練を受けているのかもしれません。きちんと頼る訓練です。甘える訓練です。人はこの世でどんなに良いものを持っていても、それは必ず手放していかなければなりません。地位も財産も、自負心もです。死から救ってもらうために必要なことは、自分で何とかしようとしないことです。普通に考えて、できることではありません。自負心も捨てて、神さまを信じて全面的に頼ることです。塔の回心を経験したルターは言います。100パーセント恵みのみ、信じるのみです。 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。 それから、私に従いなさい。 |