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2025年7月13日 聖霊降臨後第5主日 |
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| ルカ福音書10章25~37節 「 同じように弱い 」 | |
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10:25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 29しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。30イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 32同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。33ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 34近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。35そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 36さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」37律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 |
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| 私が神学校時代、神学生の友人がエルサレム大学という大学に2,3か月だったと思いますが、短期留学をした人がいました。帰ってきて、その友人にユダヤ人って、どんな感じの人だった、と聞くと、普通の人だった、と答えられました。大学に行っていたので、大学生と知り合いになったといいますが、サッカー部でレギュラーになれないことに悩んでいたり、恋愛に悩んでいたりしたそうです。自分の中に、変なユダヤ人イメージのようなものがあって、友人の話を聞いて、少し意外に思ったことを覚えています。 今日の福音書の箇所は、割と有名な話で、キリスト者が書いた本ではなくても、何度も引用されているのを見た記憶がある、善きサマリア人と呼ばれるたとえ話です。 律法学者が、イエスさまに試そうとして聞いたといいます。何をしたら永遠の命をつけ継ぐことができるかと。イエスさまは、それに直接答えず、あなたはどう思うかと追い返しています。律法学者は、心を尽くして神を愛すること、自分を愛するように隣人を愛すること、そう答えます。イエスさまと律法学者の対立点は、十戒をはじめとする律法を違反せずに守ればいい、という律法学者と、神さまが律法を通じて教え、求めていることは、神への愛であり、隣人への愛であるというイエスさまの教えです。しかし、この律法学者は、イエスさまから見ても、神の教えの神髄をきちんとわきまえている。イエスさまは言う、正しい答えだ、あとはそれを実行しなさいと。わたしたちも記憶があります。分かっているじゃん、ならば実行すれよ。そう言われて耳の痛い思いをしたことがあります。律法学者は、自分を正当化しようとしたといいます。実行していない自分の言い訳をした、隣人って誰ですかと。それでたとえ話が始まります。強盗に襲われ、半殺しの目にあって倒れているユダヤ人がいる。祭司やレビ人、今でいえば、牧師とか神学生とか、そういう人が通りかかったが、道の反対側を歩いて通り過ぎた。しかし、仲の悪い民族であるサマリア人が通った時、倒れている人を見て、憐れに思ったといいます。憐れむというギリシャ語の単語を分解すると、「内蔵・痛む」という言葉になります。はらわた痛む、胸が痛んだ。別に隣人愛の教えを守ろうとしたわけではありません。胸が痛んだ。 森有正という人が、「経験」ということを語る。体験と経験は違うと。しかし、これは言葉では言い表しにくいもののようで、よく分からないのですが、少し分かることは、没頭するような、のめりこむような体験が、経験になりやすいようです。心を尽くし、思いを尽くすような体験です。それから、経験とは自分が内側から変わるようなものだといいます。その意味で、このサマリア人は、一つの経験をしたのだと思います。自分の考え方が変わった。だれが隣人かという問いに対して、誰が隣人になったか、イエスさまはそう問い返しています。隣人はあるものではなく、なるもののようです。変えられていくもののようです。 第二次世界大戦を経験した人の手記で、場所は忘れましたけど東南アジアの島だった気がいますが、その島に駐留している時、上空で米軍の戦闘機が撃ち落されたそうです。パイロットは脱出してパラシュートで自分のいる島に降りてきたそうです。撃ち殺しに行こうと、落下した方向に歩いていくと、米軍の兵士がいたそうです。鬼畜米英と教えられていて、そんなに怖い形相かと思っていると、自分よりも年下のきれいな顔をした青年で、けがもしていたようです。自分と変わらない、弱さも持った普通の人間であったことに、すごく驚き、助けはしなかったが、撃たずに引き返したそうです。 ユダヤ人と敵対しているサマリア人も、仲間からはユダヤ人はひどい奴らだと聞かされていたかもしれません。でも、実際に倒れているユダヤ人の姿を見て、自分と変わらない弱さを抱えた普通の人間だと感じ、胸が痛んだのかもしれません。こんな愛が、永遠の命に至るほどの愛かといわれると、大げさな気もしますが、今でいえば、パレスチナ人が今戦っているユダヤ人が倒れているのを見て、助けるようなものかもしれません。それは永遠の命に値する愛かもしれません。 わたしたちは勝手にユダヤ人だとか、ロシア人をひどく恐ろしいものにイメージしているかもしれません。しかし、恐らくじかに会うと、自分とそれほど変わらない人だと感じるのだと思います。自分と同じような弱さを抱えている人間だと感じる場面もあるかもしれません。 地球上のすべての人が、自分と同じように弱さを抱えた、変わらない人間なのだと思います。それぞれの国には、いろんな人がいるでしょう。日本人も同じで、いろんな人がいます。わたしたちは、一律の変なイメージをつけているかもしれません。おそらく多くの人、全ての人がいい意味でも、悪い意味でも私たちと似た弱さを抱えている人です。自分の勝手なイメージが壊されていき、隣人同士になっていきたいと思います。 |