2025日 聖霊降臨後第8主日

                 ルカ福音書12章13~21節 「 愛が残り拡がる時 」 

12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

  ルーテル幼稚園の近くに、「なかよし公園」という公園があるんですけど、その向かいに「愛育保育園」という保育園があるんです。その保育園に私が乳児の頃通っていたんです。名前は覚えているんですけど、当時のことは何にも覚えていません。3歳まででしたから。父親から、すごくかわいがってくれた先生がいたと何度か聞きました。でも、その先生のことも何も覚えていません。今幼稚園で乳児と関わっていますけど、あの子たちわたしのことは何も覚えていないんだろうな、と思います。卒園まで行けば、存在は憶えていてくれる子もいると思いますが、乳児の頃の直接的なかかわりの思い出は、一つもないのだと思います。でも、これは聖書の教える、理想の愛し方でもあります。施しをするときは、誰も見ていないところでしなさい。右の手がすることを、左の手に教えるな、と教えます。この教えは、サンタクロースという営みの源流だといわれています。
 ペイフォワードという映画があります。ペイフォワードとは、助けてもらった時に、助けてくれた人にお返しをするのではなく、将来自分のように困っている人に出会ったら、惜しまずに助けてあげる、という営みのことです。一番いいのは、知らないうちに助けられていて、助けられていたことに気づいた時でも、もうお返しができない状況の時です。その人はおそらく自然な気持ちで、違う誰かを助けていくと思います。
 今日の福音書の話は、群衆の一人が、イエスさまにお願いする。「わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください」と。イエスさまをもったいない使い方をするな、と思います。するとイエスさまは、貪欲に気を付けるようにと、たとえ話を始めます。すでに金持ちの人の畑が豊作だった。倉を大きく立て直して、そこに財産を納める。これでしばらく安心。しばらく飲んだり食べたりして楽しもう、そう思った日に死んだ、という話です。自分のために富を積んでも、必ず失います。そうではなく、神の前に豊かになりなさい。イエスさまはそう語ります。
 
神の前に豊かになるとは、どういうことなのだろうと思います。イエスさまは別の箇所で、天に富を積みなさい、そう教えている個所があります。その富は盗まれることもさびることもなく残り続けるといいます。天に富を積む方法は、誰も見ていないところで、施しをしたり、人を助けてあげたりすることです。返せない人に与えることです。
 ただ、助けられる、という経験がなければ、なかなか人を助ける気にはならないものです。愛されなければ、愛せない、のに似ていると思います。
 ですから、私達がまずやるべきことは、知らずに助けられていたこと、知らずに支えられてきたこと、知らずに与えられてきたことを思いめぐらすことです。乳児を見ていて思います。人は本当に無力で生まれてくるんだと。一人で食べることも、飲むことも、排せつの処理も、着替えも何もできない。げっぷも一人でできない。助けられずに、生きてきた人はいません。子どもの頃、結構ほめてもらったと思っていました。子どもの頃は全部真に受けていました。けど大人になってみて気づく、本当に出来が良かったというより、あの言葉は、励ましであり、祝福であり、愛情だったと。失って気づくということもあります。その人がいなくなって気づくこともある。実はあの人が微調整して、潤滑油になって、全体をまとめていてくれたんだと。
 これだけ与えられるのが普通だと思っていたけど、喜ばせたいと普通以上のものを与えてもらっていたことに後で気づくこともあります。自分のために、自分の知らないところで準備したり、苦労したりしていてくれた人たちがいます。もうその人に返すことはできなくても、今度は違った人を自分が助ける番であり、与える番です。それを受けた人が、また更に違った人に与えれば、この愛は拡がり、残っていきます。
 ペイフォワードの直訳は「先払い」という意味らしいです。飲み屋で若手芸人が、ビートたけしさんが来ているというので一応挨拶に行くと、最後帰る時に会計しようとしたら、先にたけしさんが払ってくれていた、というエピソードを時々聞きます。先払いです。イエスさまは言う、あなたの罪の償いは、十字架で払っておいてくださっていると。今度はあなたが赦す番。今度はあなたが与える番。今度はあなたが愛する番です。本当の人生の財産は、その人が受けたものより、その人が与えたものの中にあります。受けたものは失いますが、与えたものは残ります。
 無理やりする必要はありません。まずは知らずに助けられ、支えられ、与えられていることに思いをはせましょう。神さまからと、隣人からの隠れた恵みに気づくことです。今まで受けた愛が、あなたを動かします。

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