202517日 聖霊降臨後第10主日

                 ルカ福音書12章49~56節 「 悔い改め 」 

12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。 53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」

54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」

  イエスさまの宣教の第一声は、「悔い改めよ」でした。悔い改めることは実に難しいことです。「自分は間違っていたかもしれない」それを認め、受け入れることは、痛みを伴うことだからです。しかし、その傷を見ないようにすることで、いつまでも傷が残り続けることがある気がします。現在は8月です。今年は戦後80年。ヨーロッパではあの戦争を引きずってはいませんが、日本ではまだその影が残っているように感じられます。日本がアジアの人たちに植民地政策をとり、加害的な行為をしたことへの反省が終わってないからだという気がします。そもそも植民地政策を始めたヨーロッパが素晴らしい国々だというつもりはありませんが、日本と比較すると、自分たちを批判的に省みて、変えていく力、悔い改めの力があるように感じます。
 今日の福音書の箇所は、かなり分かりにくいというか、少しショッキングな箇所です。福音書を読み始めた人が、牧師に対して初めに質問してくることが多い箇所です。
 イエスさまは言います。わたしは平和をもたらすために来たのではなく、分裂をもたらすため、火を投ずるために来たといいます。イエスさまは、罪をゆるし、互いに赦しあうことを教えた方です。愛すること、敵をも愛することを教えた人です。どう理解すればよいのだろうと思います。
 この個所を理解するのに、とても良いヒントを与えてくれる存在がいます。わたしたちの教会の基となった存在であるルターです。ルターは宗教改革によって、教会に分裂をもたらしました。教会に火を投じた人です。ヨーロッパ社会に火を投じた人です。ルターもイエスさまのように思ったかもしれません。この火が既に燃えていてくれればと。
 もちろんルターは、分裂を起こそうとした人ではありません。ルターは当時のローマ・カトリック教会を内部から、改革しようとした人です。しかし、結果的にはルターが破門され、ルターの賛同者がルターについていった。それが結果的に分裂になりました。
 ルターの宗教改革の始まり、95カ条の提題の第1提題は、キリスト者の全生涯が悔い改めであることをイエスさまは求めている、というところから始まります。ルターはなぜ反発され、破門されたのか。ルターが「自分たちの今の信仰のあり方は間違っているかもしれない」そう語りだしたからです。わたしたちは悔い改めが必要だ、そう語りだしたからです。自分は間違っていた、そう語るならもんくは言われないものです。しかし、主語が少し大きくなり、「私たち」は間違っていたかもしれない、そう語りだすときには、大きな反発を招くことがあります。日本はあの戦争に至る歩みで、間違いがあったのかもしれない、そう語りだすだけで、ハレーションが起こります。
 ルーテル教会は、最初のプロテスタント教会ですが、現在でもカトリック教会に一番近い形で礼拝をしています。ルターは、決して当時の教会を全否定をしたわけではありません。すごく具体的なことを問いかけました。ルターは、批判をしたのではなく、討議をしよう、そう呼びかけました。わたしたちが悔い改めようとするとき、自分たちは真っ黒だったとか、いや真っ白だった、と主張し合うだけなら、本当の意味での悔い改めは起こりません。
 イエスさまは不思議な方です。恵みと畏れを同時に与える方です。愛と正義を同時に感じさせる方です。赦しを与えると同時に、悔い改めを求める方です。愛と赦しのもとでしか、人は自分の罪を認め、悔い改めるということをしないものです。
 「私たちの中に、間違いがあったかもしれない。」そう語り出すことは勇気のいることです。時には、反発も分裂も招きます。ルターもそうでしたし、イエスさまもそうでした。しかし、それが神さまのみ旨に適った、正しい悔い改めなら、何かが必ず何かが残っていきます。悔い改めを避ける時、傷は残り続け、影がいつまでも付きまとうものです。
 神の赦し、人の赦しを信じて、悔い改めましょう。自分の罪を認める、自分たちの罪を認める、その道こそが一番明るい道です。悔い改めて、神の国に近づきましょう。

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