202524日 聖霊降臨後第11主日

                 ルカ福音書13章10~17節 「 束縛と解放 」 

13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

  幼稚園の卒園生のお父さんと話していた時、今、子どもはダンスを習っていて、髪の毛も染めているという話をしていました。今は、小学生で、中学に行くと髪染められなくなるから、今のうちにしている、という話になりました。その後、なんで中学では、髪染めたらだめなんだろう、という話になりました。小学生は良くて、大学生も良くて、中学の間はダメ。結局理由は見つけられませんでした。制服が決められたり、髪の長さや、髪形、髪の色まで決められる。はっきりは分かりませんが、小学生ほど従順ではなく、かといって大人にもなり切れていない、中高生の時期、管理しやすいために校則があった気がします。管理する側と、管理される側の関係、処罰する側と、処罰される側の関係をはっきりさせるため、校則があったのだと思います。でも、これは日本独特です。
 キリスト教の教え、聖書の教えも、同じように使われていた時代がありました。イギリス国教会、聖公会の始まりは、ローマ教皇がイギリスの王様の離婚を許してくれなかったのがきっかけです。当時、国王であっても、ローマ教皇の許しがなければ、離婚できませんでした。だから、王様も教皇に頭が上がらなかった。聖書の教えを、ローマ教皇庁の権威の源にしていました。生殺与奪の権利、来世の運命を教会が握っていると思わせた。従わないと罰せられる、見捨てられる、救ってもらえない、そう思わせた。しかし、それが変わっていくのが、宗教改革です。

今日の福音書は、イエスさまが安息日に、会堂で教えていた時の話です。18年間病の霊に取りつかれ、腰が曲がったままの女性がその会堂にいました。イエスさまは、その女性の病をいやします。癒された女性は神を賛美したといいます。しかし、話はそこで終わらない。会堂長が出てきて、安息日に癒しを行ったことを咎めます。
 ここで注意しなければいけないのは、安息日の規定は、キリスト者にとって、十戒に入っているのに不思議なほど大事にされていません。だから、安息日をうるさく言う、この会堂長が、ひどく冷たく、厳しい人間に見えてしまいます。
 安息日は、もう少し見直されていい教えだと思います。今は、少しずつ、休むことの大切さが語られてきています。昔は、運動は一日休むと取り戻すのに、三日かかる、だから休むなと言われた。今は、筋力をつけるためには、休みも必要だといわれ、また、ケガの防止にもなります。徹夜で勉強をするより、記憶の定着には睡眠が必要だといわれます。今は、欧米で、ニクセンと呼ばれるものが話題になっているようです。ニクセンとは、オランダ語で「何もしない」という意味のようです。「何もしない」ことの効用は、ストレスを軽減させるだけではなく、創造性、クリエイティビティを高めるといわれています。ユダヤ人が、土地も持たず、国家も持たず、2000年生き延びたのは、安息日という独特の習慣が続けられてきたからだといわれています。ユダヤ人の人口は世界の0.2%ですが、ノーベル賞の医学生理学賞では、受賞者の26%がユダヤ人、物理学賞は25%、化学賞は18%だそうです。突出しています。ユダヤ人に優秀な人材が多い理由は、安息日にあるのではないか、という研究もあるそうです。神の教えは、私たちが思っているより、恵みが潜んでいます。
 安息日は、これやっちゃいけない、あれやっちゃいけない、という日ではなく、本来安息する日です。何もしてはいけない日ではなく、神さまが与えてくれた何もしなくていい日です。牛やロバに水を上げるなど、必要なことがあれば、やってもいい日です。
 神の教えは、人間の手あかが随分ついてしまった。時の宗教指導者の権威のために用いられ、従わないと罰せられるもの、という印象をつけてしまいました。人を傷つけないこと、ばかにしないこと、嘘をつかないこと、盗まず、むさぼらず、姦淫しないのは、長い目で見て、あなたにたくさんの恵みをもたらすからです。隣人を愛し、周りの人を大事にすることは、結果あなたが大事にされ、あなたが愛され、幸せになるからです。神さまに従い、イエスさまに従うのは、罰せられないようにするためではなく、価高い恵みを受けるためです。
 イエスさまは言う、こうも訳せるらしい、「安息日にこそ、その束縛から解いてやるべきだ」と。神の教えは、束縛するものではありません、解放するものであり、恵みを与えるものです。罰せられることを恐れてイエスさまについていくのではなく、恵み豊かな人生が与えられることを信じて、イエスさまに従っていきたいと思います。

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