202521日 聖霊降臨後第15主日

                 ルカ福音書16章1~13節 「 友 」 

16:1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。 16:2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 16:3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 16:4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 16:5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 16:6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 16:7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 16:8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 16:9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 16:10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 16:11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 16:12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 16:13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできな

  人気のあったタレントが、スキャンダルを起こして、スターの座から滑り落ちるばかりではなく、芸能界にすらもいられなくなる、そんな出来事を何度か見てきました。タレントばかりではなく、政治家や財界人でも一夜にして、地位や財産を失う、そんな出来事もたくさん見てきました。自分は、スターでもありませんし、地位や財産を持っているわけでもありません。しかし、まごうことなき罪人です。時々、自分がいつ間違って大問題を起こしてしまうのか、不安に思う時があります。何とか隠し通している、自分の醜さがいつか表に出ないか、不安に思うことがあります。
 今日の福音書の箇所は、不正な管理人という小見出しがついた箇所です。分かりにくい箇所であるといわれています。あるお金持ちに財産の管理を任されている人がいました。その管理人が、財産を無駄遣いしていると主人に告げ口をする人がいたようです。主人は管理人に、会計の報告を出すように命じます。そして、その時に「もう管理を任せておくわけにもいかない」と告げられています。クビになることを覚悟した管理人は、その後自分を受け入れてくれる人を作ろうとします。
 主人に借りがある人を呼び出し、証文を書き換え、債務を減らしてあげます。そのことも、主人に知られたようです。ところがそれを知った、この主人は、不思議なことにこの管理人の抜け目ないやり方をほめたといいます。当然、このたとえを話しているイエスさまも、この出来事を肯定的にとらえ、この世の子らは、光の子よりも賢く振る舞っているといいます。疑問に思います。この管理人、クビになった後、この人たちに友として迎え入れられたのだろうかと。借財を減らしてくれたとはいえ、主人の証文を勝手に書き換えさせるこの管理人を信頼できる人として迎えるだろうかと思います。 実は、反対者も少なからずいる説なのですが、こういう説があります。油百バトスと出てきますが、一バトスは36ℓです。百バトスは油3600リットルです。小麦百コロスと出てきますが、一コロス360ℓ、百コロスで小麦3万6千ℓです。油や小麦の貸し借りにしては不自然です。これは、律法で禁じられている高利貸しの抜け道ではないかという説があります。律法で油の貸し借りは生活の必要上禁じられていないからです。この管理人が書き換えさせたのは、利息分だった。高額な利息を減らしたので、律法的には正しいことをした。だから、主人もこの管理人を警察に突き出すことができなかった。律法に適うように書き換えたので、借りた方もこの管理人を信頼した、そういう説があります。
 
しかし、ここで大事なことは、話をすっきり読むことではなく、イエスさまがこの個所で何を伝えようとしたかということです。最後のところにこんな言葉が出てきます。

あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

 お金は便利なものだと思います。とても大事なものだと思います。実際、この世でとても大事にされていると思います。しかし、イエスさまは言います。富は、人間が用いるものであって、仕えるものではない。仕えまつるものではありません。富はあくまで用いるものです。しかし、人は時にお金に振り回されます。お金のせいで、友を失うことすらあります。お金のせいで命を失う人もいます。それは本末転倒です。お金に支配され、振り回されていることがあります。お金は仕えるものではなく使うものです。イエスさまは、お金は友を作るために使えといいます。
 この管理人は全面的に肯定されているわけではないでしょう。あくまで、この世の子と呼ばれています。しかし、この管理人が褒められる部分があるとしたら、生き抜こうとしたことです。一連の出来事が起こり、この管理人は、富は、ある日突然失われることがある、そのことに気づく。それよりも生き抜くためには、富や立場を失っても、助けてくれる友人がいる方が良い、そう考え、即実行に移しました。
 この世での地位や名誉、財産は、何か一つのつまずきで、あっという間に失うことがあります。だから、それがあるうちはそれを使って友を作れといいます。しかし、こうも思います。地位や財産を失うようなことをした時、それでも助けてくれようとする友は、そんなにはいないのではないだろうか。これから作ろうと考えても、なかなかできないのではないだろうか。しかしひとりの方がいます。世の友われらを捨て去る時も、祈りに答えて慰めてくれる方がいます。
 さらに言えば地位や名誉や財産は、死を迎えたときには何の役にも立ちません。この世の友も、死が近づいた時心の支えにはなってくれますが、死そのものから救い出す力はありません。そんな死からも助けてくれる友がひとりだけおられます。
 改めて、イエスさまが、罪人を憐れみ、赦しと愛を与えてくれる方であることに心から感謝します。富に仕えるのではなく、この世の宝は、正しく友のため、隣人のために使いましょう。この世の富とは、実際のお金だけではなく、与えられている才能や力、チャンスも、いざという時に助けてくれる友のため、隣人のために使っておきましょう。何よりも慈しみ深い友なるイエスさまに忠実であり、神さまに仕えるものでありたいと思います。

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