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札幌中央ルーテル教会の皆様この度は教会50周年を迎えられ、おめでとうございます。わたしは中央教会の前進の札幌ユースセンター教会の出身です。大通りに面した方にありました教会に高校生のときから通っていました。
そこで、当時の教会で奉仕をしておられた宣教師シュスラー先生のときに洗礼を授けていただきました。洗礼を授けていただいてから約1か月後のことですが、当時同じ学年の男子が数人おりまして、みんなで招来は牧師として奉仕しようということになり、自主性の乏しいわたしは、彼らの勢いにつられて、牧師を目指すことになりました。
しかし、父親にえらく反対されて、まずは札幌市内の大学に入ることとなり、キリスト教の大学である北星学園大学に入って、途中病気で1年間休みましたので、5年後にそこを卒業し、父から、もう親子の縁を切ると言われながらも、神学校に入学しました。
その後、神学校ではわたしの先輩にあたる粂井先生が神学校を卒業され、当時札幌エマヌエル教会と恵み教会とユースセンター教会が統合して札幌中央ルーテル教会となって、その卒業された粂井先生を牧師として招聘されました。
そのときから50年という時を経て今を迎えています。粂井先生を通して、そして、その後吉田先生を通して主の宣教のみ業が、この教会を通して多くの魂の救いの働きをしてこられ、また、これからも益々主の宣教のみ業が成されることを神様に祈りつつ、ここに立たせていただいています。
さて、今日わたしたちに与えられています福音書には、普段あまり聞き慣れない、サドカイ派の人々が登場しています。少し、サドカイ派について説明させていただきますが、彼らは昔ダビデの時代に祭司たちの指導者であったサドックの流れを汲んだ貴族たちの集団とのことで、とても厳格に律法を捕らえる人たちでモーセ五書しか聖書とは認めないという立場の人たちでした。
しかも、彼らは強くヘレニズム=ギリシャ思想の影響を受けていまして、今でいうところの科学的でないことは信じられないという立場でした。ですから、彼らにしてみれば死んだ人の復活だとか、天使や霊の存在なども人間の作り出した迷信のようなものだと考えていました。
そして、律法を自分たちの解釈で色々と理解を広めていたファリサイ派とは対立関係にありました。特に、人の復活について、ファリサイ派は復活があると主張していましたが、サドカイ派はそんなことは無いと主張して対立していました。
そこで、サドカイ派の人たちが持ち出していたのが、申命記に記されている結婚についての規定でした。そこには長男が結婚したけれど、子が無くて死んでしまった場合は次男がその長男の妻であった人を娶って子をもうけなければならないとされています。
そこで、サドカイ派の人たちはその律法の規定を持ち出して、7人の兄弟が一人の女性を次々と嫁にしたとして、みんな死んでしまった後、もし復活などがあるとしたら、その嫁は誰の嫁になるのかとの質問をして、ファリサイ派の人たちをギャフント言わせていました。ファリサイ派の人たちにはその疑問に対する答えが出来なかったようです。
そこで、サドカイ派の人たちはイエス様をも同じようにギャフント言わせるために同じ疑問をイエス様に投げつけました。これで、イエス様もまいったとなることを期待していたはずです。ところが、イエス様の答えは、全くかれらの予想とは違っていました。
そうなのです、この愚かな質問を通して、イエス様はわたしたちが聞いたことの無い、この世にあるわたしたちには想像すら出来ない天の真実をお話しくださいました。わたしたち人間の誰も知らない天のことです。
それは、イエス様が天に上げられたときに弟子たちにお話ししてくださっていた、あのあなたがたのために場所を用意しに行くと約束された、その場所です。そこは復活した人が入るためにイエス様によって用意されている場所のことです。
イエス様は言われます。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」
こう言われました。みなさん、このイエス様のことばをしっかりと聞いていただきたい。これは、そこのことを知っている方でなければ告げることの出来ない内容です。勿論、ファリサイ派の人たちも知らないことです。
いや、わたしたちも実は知らないことです。実際にそのようなことに入った経験がありません。そこから来られた、そして、そこにわたしたちを迎える準備をしておられるイエス様だからこそ、言える内容です。
まさに、復活した者たちを迎え入れる場所を用意しておられるイエス様は、あるいはもう用意が整っていて、いつでも迎え入れられるのかも知れません。しかし、まだ、これからイエス様を信じて復活にあずかるにふさわしいとされる人が見つかるのでしょう。
その人をイエス様は地上の教会を通して、今も尚捜しておられるのでしょう。イエス様の教会が宣教するのは、その復活にあずかるのにふさわしい人を見つけ出し、イエス様のみ元へと導かれることに関わらせていただくことに他ならないでしょう。
このイエス様のことばによって、あのサドカイ派の人がイエス様をギャフント言わせようとした陳腐な質問は、吹っ飛んでしまいました。もう、誰もこのことについてイエス様に物言う人はいなくなりました。
イエス様は更に続けてお話ししてくださいました。モーセも柴の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。
このイエス様のことばは、わたしたちを生かしているのは神様であることを明確に示しておられます。わたしたちが今こうして生きているのは神様によるのだということが明らかにされています。
しかも、イエス様を信じる人は、復活するのにふさわしいとされた人々に加えられています。たとえ誰であろうと、わたしたちを愛し、わたしたちのために十字架について死んでくださったあのイエス様が、死の力に打ち勝って、復活してくださったことにより、わたしたちにも復活して生きる道を開いてくださいました。
だからこそ、そのイエス様の約束してくださったことを信じて、信頼して自分の身を委ね、洗礼を授けていただいた人は、どんな人であれ、何者であれ、皆等しく、復活にふさわしい人と認められ、約束されたあの、イエス様があながたがのために場所を用意しに行くと言っておられた所へと導き入れてくださいます。
そのために、こうしてイエス様の教会が地上に置かれ、イエス様を信じている者たちを通してこのイエス様の約束が告げ知らされ続けています。更に、神様がこれからもその人を捜し続け、この教会を通しても、更に見つけてくださり、救いの道へと導いてくださるでしょう。
だからこそ、今まさに、宣教50年を祝し、おめでとうと言わせていただきます。そして、更に主のみ業がこの教会を通して継続され、多くの方々が導かれますように。
アーメン。
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