20251221日 主の降誕

                 マタイ福音書1章18~23節 「 敬愛 」 

1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

   今日は主の降誕、クリスマスを祝う礼拝ですが、聖書の日課は、本来待降節第4主日の日課です。イエスさまがまだ生まれる前、夫であるヨセフの視点から見た、降誕前の出来事です。
  ヨセフはマリアと婚約していましたが、まだ関係を持つ前のマリアが、おなかが膨らみ始め、妊娠していることに気づく。姦淫の罪は非常に重く、ヨハネ8章を読めば、石打で死刑に処せられるほどの罪です。しかし、ヨセフは正しい人であったと書かれています。正しい人ヨセフは表ざたにするのを望まず、秘かに縁を切ろうと決心した、自分が黙って身を引こう、そう決心します。しかし、ヨセフの夢に、天使が現れ、マリアのお腹の子は聖霊によって宿った子、畏れずにマリアを受け入れるように言われます。ヨセフは命じられた通り、マリアを迎え入れたと書かれています。
  ヨセフはなぜ、この夢のお告げをこうも素直に受け入れたのだろうと思います。夢は夢だと思う人もいるでしょう。
  ルカによる福音書には、受胎告知の後で、マリアの賛歌と呼ばれる個所があります。また、洗礼者ヨハネの父、ザカリアという人も、年を取って子どもが授かり、その子がやがて洗礼者ヨハネとして、主の道を整える役割が与えられることで、大いに神さまを賛美する、ザカリアの賛歌が書かれています。マリアにしても、ザカリアにしても、恐らくこのヨセフにしても、改めて気づかされる、共通していることがあります。言葉にしてみると、あっけないのですが、この三人とも、心深く神さまを愛しているということです。神さまを畏れつつも、強く愛している。マリアは言います、私は主のはしためです、と。はしためとは、あまり使わない言葉ですが、女の僕、という意味です。敬愛するあなたが申されるのなら、多少の無理難題でも、分不相応な役割であっても、神さまが私を選び、命じるなら喜んでやります。マリアの応答、マリアの賛歌を読むとその気持ちがあふれ出ています。
  ヨセフがなぜ、この夢のお告げを素直に受け留めたのか。ヨセフも主を愛し、主に用いられることを大いに光栄に思っている。イエスさまが教えた、聖書の中のもっとも大切な教えは、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして神を愛すること。そして、自分を愛するように隣人を愛すること。ボンヘッファーが牧師補研修所の所長をしていたころ、教え子の牧師補である研修生に、よく言っていたことは、イエスさまをもっと愛するように、心を尽くしてイエスさまを愛することを求めたといいます。
  イエスさまを愛し、神さまを愛するとき、それは大変なことであったり、普通では受け入れがたいことであったとしても、神さまが自分を選び、用いて下さることに、大きな喜びを感じます。普通の自分では果しえないことを果たしていく。
  ヨセフは救い主の育ての父として、その役割が与えられる。救い主の母親であるマリアを支える、その役割が与えられました。もし、ヨセフが黙ってマリアの前から姿を消せば、マリアもひどく傷ついたでしょう。しかし、ヨセフは夢のお告げを信じ、神さまのため、マリアのため、やがて生まれてくる救い主のために、仕えるものとなりました。
  まず、神さまが私たちを愛してくれました。イエスさまは今も生きて、私たちを愛しています。すべてを与え尽くすほどに。自らの命を与え、罪の赦しを与える自らの血をも与えてくれました。神さまが望んでいること、イエスさまが望んでいることは、愛するあなたが神さまを愛し、イエスさまを愛することです。神さまとの愛の交わりが大きくなればなるほど、あなたは自分を愛せるようになります。その愛はあふれ出て、隣人をも愛せるようになります。神は我々と共におられます。神さまの愛に答える生き方をしていきたいと思います。

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